【辺野古から】「不屈」脈々と

米軍抵抗の政治家、根強い人気

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瀬長亀次郎氏の記録映画の上映初日、劇場前にできた長蛇の列。瀬長氏の根強い人気をうかがわせた=8月12日、那覇市
沖縄刑務所を出所する瀬長氏=1956年4月ごろ(不屈館提供)
米軍普天間飛行場移設を巡る訴訟の最高裁判決で敗れ、記者会見する翁長雄志知事=2016年12月20日、沖縄県庁

 米国統治下の沖縄に、米軍に抵抗し、決して弾圧に屈しなかった政治家がいた。瀬長亀次郎(せなが・かめじろう)氏。「不屈」の精神は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する運動に脈々と引き継がれている。瀬長氏の闘いを描いた記録映画には長蛇の列ができ、沖縄での根強い人気をうかがわせた。

 映画の題名は「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」。8月12日、那覇市にある「桜坂劇場」での上映初日。早々と席は埋まり、会場に入れない人も。「不屈」と書かれたTシャツ姿もあり、映画が始まると大きな拍手が起きた。

 瀬長氏は1907年生まれ。戦後、米国統治下に置かれた沖縄県で52年に実施された第1回立法院議員(現在の県議)の選挙で当選した。選挙直後に米国が開催した琉球政府創立式典で、瀬長氏は一人だけ起立せず、米国への忠誠の宣誓と押印を拒否した。以来、統治の実務を担う米軍は要注意人物として弾圧する。

 米軍は54年に瀬長氏を逮捕し投獄。56年に出所した瀬長氏を出迎えたのは大勢の市民だった。その年、瀬長氏は那覇市長に当選する。米軍が財政面で圧力をかけると、市民が瀬長氏を助けようと納税に訪れ、納税率が一気に上がった。

 危機感を持った米軍は瀬長氏の被選挙権を奪った上で、圧力により市長不信任案を可決させ、失職に追い込んだ。「弾圧は抵抗を呼ぶ。抵抗は友を呼ぶ」。瀬長氏は市長選で自らの後継者を当選させて抵抗した。

 米国は54年、基地造成のために強制接収した土地の低額での一括買い上げ方針を発表。これに反発する県民の闘いは56年に「島ぐるみ闘争」に発展した。鼓舞する瀬長氏の演説に県民は奮い立った。

 瀬長氏は好んで「不屈」と書いた。次女の内村千尋(うちむら・ちひろ)さん(72)によると、「弾圧を恐れずに闘う県民の姿を表している」と説明していたが、県民は瀬長氏の代名詞とした。

 「不屈」は辺野古の反対運動で抗議船や、米軍キャンプ・シュワブのゲート前の立て看板に書かれるなど合言葉のように使われている。

 辺野古移設反対を掲げて国に立ち向かう翁長雄志(おなが・たけし)知事も昨年12月20日、辺野古移設を巡る訴訟の最高裁判決で県側敗訴が確定した直後の会見で「県民の『不屈』の気持ちは、心を一つにして、頑張っていこうとなっている」と強調した。

 司法判断の節目に、県民と共に反対を貫く覚悟を示した姿に、記者は瀬長氏を連想せずにはいられなかった。

 上映初日、劇場前に友人と並んでいた今帰仁村の大学職員仲松なぎ子(なかまつ・なぎこ)さんは「権力に屈せず、今の沖縄の礎をつくった人。瀬長さんみたいな人は今後も出ないのではないか」と関心を持つ理由を説明した。

 瀬長氏が求めた本土復帰から45年。沖縄には依然として広大な米軍基地が残る。内村さんは「父は『基地のない平和な沖縄』を願ったが、基地付きの返還となり、沖縄はずっと苦しんできた。その状況は、さらにひどくなっており、ますます『不屈』の言葉は輝きを増している」と話した。(共同通信=那覇支局・星野桂一郎)

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