【特集】ザ・タイガースのピー、日中台で活動

教師からドラマーに

台北市内のライブハウスで、ドラムの音を確認する瞳みのるさん=8月(共同)
瞳みのるさん(共同)
2016年10月に北京で開いたコンサートの様子(オフィス二十二世紀提供・共同)
台北市内のライブハウスでドラムをたたく瞳みのるさん=8月(共同)

 1960年代後半にグループサウンズの頂点に立ったザ・タイガースの元メンバーで、「ピー」の愛称で人気を博したドラマーの瞳みのるさん(70)は人生の第3ステージとして日本、中国、台湾をまたぐ音楽活動を展開している。昨年の中国に続いて12月16日に台湾で初のコンサートを開く。音楽や当時の仲間と関係を断っていた瞳さんが交流を復活し、音楽の世界へ戻っていく人生の軌跡はドラマチックだ。

 ▽アイドル路線に反発

 「10年後に会おう、君らはきっと乞食になっているだろう」。71年1月24日、日本武道館での解散コンサートを終えた後の送別会で瞳さんは仲間にこうたんかを切って別れた。家財道具一切を積んであったトラックでそのまま郷里の京都へ出発。その後、30年以上会うことはなかった。

 ザ・タイガースは瞳さんを中核に生まれた。森本太郎さん(タロー)は瞳さんの小学校の同級生、岸部一徳さん(サリー)は中学校の同級生、加橋かつみさん(トッポ)は高校の同級生。4人でバンドを組んだ後、沢田研二さん(ジュリー)が最後にボーカルとして加わった。後に加橋さんの後釜として入った岸部四郎さんは一徳さんの弟だ。京都・大阪で「ファニーズ」として名をはせた後、上京。渡辺プロダクションから「ザ・タイガース」としてデビューし、大ブレークする。

 だが瞳さんはプロダクションのアイドル路線や商業主義に反発があった。仲間同士も仕事に対する考え方の違いなどからけんかが絶えなかったようだ。70年安保闘争やベトナム反戦運動が盛り上がっていた時代だった。

 瞳さんは作家の柴田錬三郎さん(故人)と知り合い、中国文学に引かれていく。進学を決意し、解散後に定時制高校に復学、翌年には慶応大文学部に入学。卒業後は慶応高校で漢文・中国語教師を33年間務めた。ほかのメンバーがいずれも歌手や俳優などとして芸能界で活動を続けたのとは対照的だった。

 柴田さんや妻から、芸能界とは縁を切るよう言われていたこともあり、元メンバーとは一切接触しなかった。2人の子どもたちは高校を卒業するまで父親がザ・タイガースで活躍したことを知らなかったという。

 仲間たちの間にどんなわだかまりがあったのか。それぞれに語り尽くせない思いがあるだろう。だが人生では時間が解決することもある。

 岸部一徳さんと沢田さんが作詞し、森本さんが作曲した「ロング・グッバイ」は瞳さんへの思いを伝える歌だった。

 「こんなに長い別れになるなんて あの時は思わなかった…僕らはきれいな大人になれたかな…30年以上すきまは重いけど 今なら笑いあいたい…本当に 本当に 君のこと いつも いつも 気にかけてる…一度酒でも飲まないか♪」

 ▽現代の相聞歌

 2008年、瞳さんは職場の同僚からNHKの歌番組で沢田さんがこの歌を歌っていたと教えられた。以前見知らぬファンから贈られ、聴かずにそのまま引き出しにしまってあったCDを初めて聴いて、再会へと気持ちが動いた。

 ソロ歌手として一時代を築いた沢田さんにも当時の別れがしこりになっていたようだ。瞳さんと偶然出会うことを期待して瞳さんの行きつけの居酒屋に時々顔を出していたというが、店ではすれ違いのままだった。

 ちょうどこのころ、瞳さんは次の人生のステージを考え始めていた。おでん屋をやろうかと調理師の免許も取った。だが「自分がかつて熱中した音楽や、仕事にしてきた中国や文学など全てを生かせることがしたい」と考えるようになっていた。

 そして08年12月、渋谷で仲間たちと37年ぶりに再会。森本さんは店先で会うなり泣きだしたという。

 瞳さんとしては、かたくなに仲間を拒否していたということでもないようだ。自著「ロング・グッバイのあとで」(集英社)では、「メンバーに対する怒り」があったという臆測に「そんなに単純ではない」と反論している。ラジオ番組では、子育てなど日々の生活に追われて忙しかったとも語っている。

 教員時代は、中国語のテキストを出版。生徒たちの奇術部などの顧問も務めたが、音楽の世界には近づかなかった。

 09年、瞳さんは返歌として「道」をつくった。

 「しばらく 独りいて 風雨 過ぎ去った 思えば 昨日のよう 時に誤り 涙した…道はある 君がいる 僕の心に君がいる♪」

 相聞歌のように互いに気持ちを表現するなかでわだかまりは解きほぐされていった。

 10年、定年まで2年を残して教員生活に終止符を打ち、再びスティックを握った。11年に沢田さんのライブに参加。13年にはザ・タイガースのオリジナルメンバーによる全国ツアーコンサートが実現した。

 ▽国境超える曲

 瞳さんは教員時代に中国と向き合うなかで、さまざまなメロディーが日中台で共有されていることに気がついた。例えば米国由来の唱歌「旅愁」は明治期に来日した中国人留学生が中国に持ち帰り「送別」という題で広まった。「仰げば尊し」も原曲は米国の卒業歌で日本や日本統治下の台湾で定着した。

 流行歌では沢田さんが70年代に歌った「時の過ぎゆくままに」が台湾で中国語カバー曲がつくられた後、中国でも流行した。「アジアの歌姫」と呼ばれた台湾人テレサ・テンさん(故人)の曲は日本に続いて中国でもヒットした。メロディーは国境を越えていく。日本や中華圏に共通する唱歌や流行歌を双方の言葉で歌うことは瞳さんだからこそできることだ。

 昨年は北京で公演を行い、「旅愁」のメロディーが流れると中国人客が「送別」を歌いだし、会場が一つになった。

 12月16日の台北での公演では瞳さんが自分でつくったり、訳したりした中国語や日本語の歌詞も披露する。8月末には準備のため訪台し、会場となるライブハウスでドラムの音を確かめた。

 日中関係は歴史や領土の問題でぎくしゃくし、中台は台湾の政権交代で冷え込み、日台は良好だが外交関係がない。だが瞳さんは音楽の力を信じている。「政治や国境の壁があっても共通のメロディーでコミュニケーションすれば地球はもっと狭くなり、お互いもっと理解しあえるでしょう」

 グループサウンズ、中国文学研究者、高校教師というプロセスを経て再び音楽の世界に帰ってきた。そこにはたどってきた人生の全てが詰まっている。(共同通信=台北支局長・塩沢英一)

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