【工場ルポ】〈多様な事業の複合拠点・日本軽金属蒲原製造所(1)〉〝製錬〟から〝加工力〟に転換 シナジー創出へ、グループ横串活動推進

 日本軽金属ホールディングスはアルミ素材から加工品まで幅広い事業領域をカバーするアルミ総合メーカーだ。〝チーム日軽金〟の旗の下、グループ連携による新商品・新ビジネスモデルを追及し、顧客価値の創造を追及している。日軽金グループの各ユニットの製造工場が集積する蒲原製造所を訪れたのでレポートする。(遊佐 鉄平)

 東海道新幹線・新富士駅から車で約10分。眼前に駿河湾が広がるこの場所に蒲原製造所は立地する。ここは日本軽金属の創業の地であり、グループ各社が工場を構える日軽金の中核拠点だ。

 1939年、古河電工と東京電燈(現東京電力)によってアルミ製錬を目的に日本軽金属が設立され、翌40年10月に蒲原工場(現蒲原製造所)でアルミ製錬事業がスタートした。アルミ製錬業界の市場拡大とともに蒲原製造所も成長を続けたが、2度のオイルショックを経て国内のアルミ製錬業が下火となってからは、蓄積してきた技術力を生かして〝非製錬〟へ転換。73年に押出工場を立ち上げて以降、82年にアルミホイール工場(97年に生産終了)、86年に電極箔工場、88年に熱交製品工場など相次いでグループ会社の工場を誘致し、現在の複合事業所としての姿を形成していった。

 蒲原製造所は東京ドーム約10個分に相当する45万9千平方メートルの敷地に、グループ会社も含めて総勢約1200人が働いている。(1)水力発電所(2)グループ素材センター(3)日軽蒲原押出工場(4)蒲原電極箔工場(5)蒲原熱交製品工場(6)蒲原ケミカル工場(7)メタル・素形材事業部鋳造製品課(8)メタル・素形材事業部蒲原FC課の主要8事業ユニットの工場が立地している。

 グループ素形材センター内には、2000年代に導入した旧アルキャンと共同開発した薄型連続鋳造のアルミ板生産設備「フレックスキャスター」も設置されており、自動車用アルミ材料(パネル、フィン)の供給に一役買っている。

 また近隣には、グループ技術センターや東洋アルミニウム、アルミニウム線材、日軽産業などの製造拠点が点在している。一方で創業事業であり、日本軽金属の代名詞でもあった〝アルミ製錬事業〟は、設備の老朽化のため14年3月をもって事業を終了している。

 多くのユニットが工場を有する蒲原製造所では縦割りの事業部制を取っているため、損益勘定もユニットごとに独立している。製造所としては技術や営業、マネジメント面でグループとしての一体感やシナジーを創出するための横串活動を実施。各ユニットの特長を生かしながら一方で緩やかに独立路線を修正する調整役としての機能を担っている。

 こうした活動の成果はすでに表れ始めている。例えば現在進ちょくしているものでは、〝EV・PHV向け冷却プレート〟が挙げられる。日軽金がターゲットとしている〝オールアルミ冷却プレート〟は、押出多穴管を日軽蒲原で造り、日本軽金属独自のろう付け方法でユニット化するまで、蒲原製造所で一気通貫対応している。

 事業の立ち上げから工場・設備の導入、そして量産出荷まで短期間で対応できたのも情報共有によるところが大きい。こうした蒲原製造所だからこそできる製品を一つでも多く増やしていくことが、今後の目標であり、それを通じてアルミ製錬に代わる代名詞「加工を中心とした素早い対応力のある事業所」を目指していく考えだ。

 工場に立地する八つの主要事業所のうち、今回の取材では押出工場と水力発電所を訪れたのでその2拠点をルポするとともに、14年に事業を終了したアルミ製錬事業についても触れる。

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