【世界から】日本人の知らないオノ・ヨーコ

前衛芸術家でも活躍

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ハスの花びらをモチーフにしたオブジェ「スカイランディング」の除幕式であいさつするオノ・ヨーコさん=2016年10月17日、米シカゴのジャクソンパーク(共同)
オノ・ヨーコが在住している米・ニューヨーク市のダコタ・ハウス By Elisa Rolle―Own work,CC BY―SA 3.0

 今年の初め、ジョン・レノンの妻であり、芸術家のオノ・ヨーコが病に伏しているとの報道があった。現在ニューヨークで療養中という。御年84歳、ジョン・レノンの妻として恐らくもっとも有名な日本人である彼女は近年、ソロの芸術家として注目が集まっている。日本人の多くが知らない、まだ海外渡航がままならなかった時代、国際舞台で活躍した前衛芸術家としての彼女の横顔を紹介してみたい。

 正直なところ、ジョンの妻としてのオノ・ヨーコに関する評判は毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばしている。それは世に流布しているある定説、ジョンの恋人となってビートルズに不協和音をもたらし解散に導いた存在、というものから来ている。一面は真実だが、それはあくまで解散の一要素でしかない。だが、それは彼女のパブリックイメージとして定着してしまった。

 かつて、筆者が彼女に対して抱いていた印象も似たようなものだった。しかし、今から20年ほど前、認識を改めさせられる出来事があった。米国人の美大生が持っていた現代美術の教科書を何げなくめくっていると、そこにオノ・ヨーコの項目があった。それはかなりの紙幅を割いて、芸術家としての彼女の活動、特に前衛芸術家としての業績が書き連ねてあった。「ジョン・レノンの妻」という以外には彼女のことをほとんど知らなかった筆者にとって、彼女がこれほどの評価を受ける存在だったことは驚き以外の何物でもなかった。教科書の持ち主の米国人は言った。「彼女はパフォーマンスアートの創始者なんだよ。君は日本人なのに知らなかったのか?」。正確には創始者というわけではなかったが、その黎明(れいめい)期を支えた一人であったことはまぎれもない事実だ。

▽前衛芸術家としてのオノ・ヨーコ

 オノ・ヨーコについて調べれば調べるほど、世間に定着しているものとは違う人物像が浮かび上がってくる。1933年東京生まれ。母方は安田財閥の祖、安田善次郎の家系で、オノ・ヨーコは善次郎の曽孫となる。エリート銀行員の父親について幼少の頃から海外生活を経験、ニューヨークの名門サラ・ローレンス大学で学ぶ。在学中に前衛芸術運動に触れた彼女は、学校を中退してこれに没入することになる。

 ここからの彼女の経歴は、それだけで一冊の本になるほど面白い。当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった前衛芸術運動「フルクサス」とともにさまざまな表現活動をする。初期の活動で高い評価を受けたのは、「踏まれるための絵画」と題された作品。キャンバスを床に置き、鑑賞者がそれを踏みつけていくことによって作品が完成していくものだ。

 また、「カット・ピース」というパフォーマンスは、観客が舞台に上がり、中央に座るヨーコの服を切り刻んで裸にしてしまうというショッキングなものだった。性差別へのプロテストを主題としたこのパフォーマンスは、60年代前半の保守的な社会において時代を10年先取りしていた。カット・ピースは65年、ニューヨークのカーネギーホールでも演じられている。彼女とジョンが出会う一年以上前のことだ。

 つまり、ジョンとの交際で話題になるずっと以前からオノ・ヨーコはその名声を確立していたのだ。ニューヨークやロンドンのアートシーンでその才能を遺憾なく発揮していた彼女は66年、その活動の絶頂期にジョンと邂逅(かいこう)する。

 多くの人が知るオノ・ヨーコの物語はここから始まる。それは、彼女にとってはある意味でつらい道のりだった。ジョンと結婚したことで多くの批判が浴びせられた。「ジョン・レノンに見初められた東洋のラッキーガール」「ビートルズを解散させた女」中には「ジョンを利用して売名する商売人」というものまであった。何しろ、今から約50年前のことだ。黄色人種に対する蔑視も大きく作用していたのだろう。こうしたネガティブな見方は、60年代後半からジョンの死後まで続く。

▽正当な評価

 そうした評価に変化の兆しがあらわれたのは21世紀に入ってからだった。筆者の記憶に残るのは、2003年に彼女が米国の人気トークショー、ザ・トゥナイト・ショーに出演した時だ。名司会者ジェイ・レノの巧みな会話もあり、彼女は機知に富んだジョークを連発し、かつて人々に見せたことのないユーモラスな一面を披露した。番組の終盤には、レノと二人で麻袋の中に入るパフォーマンスまで演じ、観客の喝采を浴びた。

 反響は大きかった。「あんなに面白い人だとは思わなかった」「芸術家としての彼女をよく知らなかったがとても興味を持った」多くの人々が彼女の作品に興味を示し、ジョンの妻としてではないオノ・ヨーコにスポットが当たり始めたのだ。彼女は今世紀に入っても精力的に作品を発表し、2009年には現代美術の最高峰の一つ、ベネチア・ビエンナーレ展覧会で金獅子賞を受賞する。主催者は彼女について「パフォーマンスアートとコンセプチュアルアートの先駆者。現代において最も影響力を持つアーティストの1人」と絶賛した。オノ・ヨーコという芸術家が、自身の才能で頂点を極めた瞬間だった。

 彼女の半生を振り返ると、ジョンと出会ったことで正当な評価を受けられなかった不遇の芸術家と言えないこともない。それもある意味やむなしだろう。20世紀が誇る才能の一人に数えられるジョン・レノンと結婚すればどんな芸術家だろうと影に隠れてしまう。その彼女が21世紀に入って本来受けるべき称賛を浴び始めたのは喜ばしいことだ。

 だが、日本でのヨーコの評価は相変わらず「ジョンの妻」でしかない。オノ・ヨーコという女性とその作品に光が当てられることは少ない。日本が経済大国として世界のひのき舞台に立つはるか以前、海外渡航も自由でなかった時代に、世界で活躍したコスモポリタンの先駆けであるオノ・ヨーコについて、一番知らないのが当の日本人だというのは何とも皮肉な話である。(東京在住ジャーナリスト、岩下慶一=共同通信特約)

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