トピック医療・健康

がんで夫を失った49歳女性、専門看護師めざす 「私だからこそ、できる支援あるのかな」

 那覇市の看護師島袋百代(ももよ)さん(49)は、病院勤務の傍ら「がん看護専門看護師」の資格取得を目指していた昨年8月、54歳の夫をがんで失った。「こんなに身近な人の病気に気付けなかった」と自分を責め悲嘆に暮れたが、患者家族や遺族となり、目標への決意は強まった。今年4月、夫の看病のため1年間休んでいた県立看護大大学院に復学して研究を再開。闘病の悩みや本音を受け止める、患者・家族に一番近い医療者になろうと努力を重ねる。(社会部・新垣綾子)

 「背中が痛い」「胃がおかしいな」。専門学校の教員だった夫の一史(かずふみ)さんが、しきりに体調不良を訴えるようになったのは昨年2月。クリニックでは異常が見つからず2カ月ほど後、紹介先の病院でようやく診断が確定した。早期発見が難しく悪性度が高いとされる膵臓(すいぞう)がん。仕事柄、夫のCT画像を見た瞬間に肝臓など他臓器への転移を悟った。「もう長くない」。目の前が真っ暗になり「どうしよう、どうしよう」と混乱した。

 がん患者・家族の相談に乗り、医師など多職種との調整を担うエキスパートになるため、島袋さんは2014年春に大学院へ進学していた。日中は病院に勤め、夜間に院で学ぶハードな毎日。そんな妻の決意を誰よりも応援してきたのが一史さんだ。優しくて温和で。しかし望みを託した抗がん剤治療も効果はなく、告知からわずか約4カ月後、帰らぬ人となった。

 看護師であると同時に患者家族、そして遺族に。島袋さんは痛感した。がんは治療の選択肢が多く、短い時間にさまざまな意思決定を迫られる。だが「患者の側に立てば『早く、早く』よりも、じっくり気持ちを聞いてほしい」。

 「大の父親っ子」だった一人娘の萌花さん(16)は一史さんが亡くなっても、しばらく涙を見せず明るく振る舞った。「つらいから、お父さんのことは考えないようにした」と明かし、最近は「お父さんとの思い出が消えてしまいそうで怖い」と不安を口にする。

 がんは家族にとっても人生を揺るがす体験だ。苦しみや悲しみの感情にふたをする一方、死別の現実に戸惑う萌花さんを見守りながら、島袋さんは人知れず悩む家族や遺族のケアを一層大切に思うようになった。

 10月以降はしばらく休職し、来春の卒業に向け修士論文の仕上げに入る。専門看護師になるには卒業後も多くの課題や認定審査をクリアする必要があり、たやすい道ではないが「私だからこそ、できる支援があるのかな」と奮い立つ。「治療だけでなく当事者の生活に幅広く目を向け、より良い選択を一緒に考えていける存在でありたい」

がん看護専門看護師を目指す島袋百代さん(右から2人目)と長女の萌花さん(左)。月に浦添市で開かれるがん患者支援イベント「リレー・フォー・ライフ」の実行委員として看大祭で出展した=9月、県立看護大
故島袋一史さん

あなたにおすすめ