【この人にこのテーマ】〈事業拡大する三榮の戦略〉《佐伯清孝社長》CC広栄工業の営業権譲受、設備相互活用し効率化 懸垂幕と線材、人材育成し関東でも展開

 ステンレス流通の三榮(本社・大阪市生野区、社長・佐伯清孝氏)は、主にステンレスの薄中板を在庫し、切断や曲げ、研磨などの加工品を小口短納期で供給しているほか、コイルセンター(CC)機能も持っている。少子化による将来的な内需減が予想される中、同社はここ数年M&Aにより事業領域を拡大している。そこで、M&Aに至った経緯や今後の事業展開を佐伯社長に聞いた。(橋川 渉)

――2014年の豊物産のグループ化、今年5月の広栄工業からの営業権譲受と、最近M&Aに積極的に動いているが。

三榮・佐伯社長

 「両社ともこちらから積極的にM&Aを仕掛けたのではなく、さまざまな経緯の中で決断するに至った。今後もM&Aで事業を拡大していこうという考えはない」

――それでは具体的な話しを。ステンレス線材流通の豊物産を子会社にしたきっかけは。

 「14年の夏に銀行の方から話があった。後継者難から事業譲渡先を探しているとのことだったが、ステンレス薄中板をメーンに扱う当社にとって、ステンレス線材は別世界であまり興味がなかった。最初は当社の経理担当者に銀行の話を聞いてくるようにしていたが、たまたまスケージュールが空いたので、私も同席することにした」

――その後、子会社化した理由は。

 「まずオーナーの古川博敏前社長の熱意にほだされた。当社の内容を見せると、非常に気に入ってくれて『是非、三榮さんに引き継いでほしい』と言っていただいた。古川前社長は従業員の先行きを心配され、同業者でなく、大手でない、オーナー企業に事業を引き継いでほしかったようだ」

――子会社化を検討していた段階で、三榮としてのメリットをどう判断していたのか。

 「豊物産は、大変しっかりした会社で売上げや収益面で貢献してくれると考えたし、実際、現在貢献してくれている。私個人的には三榮と三榮ステンレスセンター(グループ会社のコイルセンター)の2社の社長を兼務し、さらに会社が増えるとなると〝大変だな〟との思いはあったが、40年以上の社歴の中で豊物産が培った得意先や販売先、従業員を失うのはもったいないという気持ちの方が強かった。子会社化後も豊物産の看板を大事にした方がいいと思い、社内に取り込まず別会社として経営している」

――子会社化したことでのシナジーは。

 「豊物産の仕入れ先の1つが新日鉄住金系の伸線メーカーなので、仕入れ面での人脈が広がった。ただ同じステンレスでも鋼板と線材ではユーザーが違うので、販売先は数件増えた程度だ。豊物産側から見ると、従来堺にあった倉庫を三榮の本社(大阪市生野区)に移したことで、東大阪市を中心としたねじ、鋲螺ユーザーに近くなり、よりきめ細かな対応ができるようになったメリットはある」

――今後の豊物産としての事業展開は。

 「加工は外注を活用し小口短納期でユーザーに納め、収益も安定している。人員面の問題があるのですぐには出来ないが、長期的目標としては関西以外のエリアにも展開していきたい」

――今年5月にはコイルセンターの広栄工業から営業権を譲り受けたが、こちらの経緯は。

 「広栄工業は、近江産業が仕入れ面でのスポンサーとなっていた。その近江産業が阪和興業とJFE商事の出資を受けるために、広栄工業は営業権の譲受先を探していた。当社には15年夏ごろ話をいただいた。その年の年末には話がまとまるだろうと思ったが、さまざまな要因で今年まで長引いた」

――広栄工業は経営的には厳しい状況だったが、引き受けた理由は。

 「借入金の金利負担が大きく会社としては厳しい状況だったが、営業収支だけを見れば黒字だった。レベラーとシャーを活用し、切り板の細かいニーズに応え、採算の合う価格で数百社の顧客に販売している。年間10数億円という売上規模もある。また三榮ステンレスセンターと設備を相互活用することで、より効率的な生産ができると判断し、営業権を譲り受けることにした。広栄工業は、旧田所テック(現サステック)社長の田所明敏氏が1994年に設立されたが、同じ関西のオーナー系ステンレス流通の当社が事業を引き継ぐことになったのは、何かの巡り合わせなのか感慨深いものがある」

――広栄工業は、南港ステンレスセンターとして新たにスタートしているが、現在の状況と今後の展望は。

 「半年ほど経ったが、経営を担っていた田所英知、田所久にはそれぞれセンター長、副センター長として残ってもらっており、今のところ従来と変わらず順調だ。当社の拠点となったことで、定尺販売を始め、鋼板以外のステンレス製品も扱うようになった。これからは国内メーカー品の販売比率を上げていきたい」

――13年には販売先の事業を引き継ぎ、懸垂幕(建物などの高い所から広告や標語などを印刷した布を下げる垂れ幕)事業をスタートさせているが。

 「ある取引先に懸垂幕昇降装置の部材を納めていたが、経営が厳しくなったので従業員を引き取ってくれるのなら事業を譲りたいとの話をいただいた。素材ではなく、製品なので販売先が異なり多少不安もあったが、もし懸垂幕事業がうまくいかなければ、従業員を引き取り事業を中止すればいい。製作はブレーキプレスやシャーリング、レーザ切断機など平野工場の既存の設備でできることもあり、引き受けることにした。懸垂幕昇降装置の製作だけでなく、現場での取り付け工事も請け負うことにしたので、年間7千~8千万円の売上高で収益も安定している」

事業継承へ販売力など強化/正解だった92年のCC開設

――懸垂幕事業の今後の展開は。

 「建築金物を製作している東京工場では図面が作成できるので、東京でも懸垂幕事業を展開していきたい。関東はマーケットが大きく、作図から素材の手当て、製作、施工と当社で一貫してできる利点があるので、懸垂幕事業の売上高は倍増するのではないかと思う。ただ豊物産の線材事業同様、人員面での制約があるので、人を育てながらじっくりと伸ばしていきたい」

――M&Aではないが、92年には三榮ステンレスセンターを設立し、コイルセンター事業を始めたのも思い切った投資だが。

 「メーカーが定尺販売を辞めることになったのでコイルセンターの開設を計画したが、バブル景気が崩壊し始めたころだったので、メーカーや商社には猛反対された。『既存のコイルセンターから定尺を買えばいい』と言われたが、会長(佐伯爲次前社長)は自社の製品は自前で加工するという思いが強く『コイルセンターがなければ二次問屋になってしまう』との危機感から開設することになった。開設当初は加工量不足で苦しかったが、小口即納対応などの機能を評価していただき、徐々に加工量が増えた。現在では薄板や研磨品を中心に月間2千トンを加工している。開設当初はリスクが高かったかもしれないが、後で振り返るとちょうどいいタイミングだったと思う。現在は当社の事業の大きな柱であり、コイルセンターがなければ今の三榮の姿はないと思う」

――経営者の高齢化による中小企業の後継者問題は、今後さらに顕著になることが予想される。そういった中での今後のM&Aの方針は。

 「最初にも申し上げたが、当社が積極的にM&Aに動き、事業を拡大することはない。ただ後継者不足から事業継承問題は増えてくるだろう。商売は安定しているのに、後継者難から会社がつぶれてしまうのは、取引関係や雇用の問題など社会的な損失が大きい。このような話しがあれば、ケース・バイ・ケースで考えていきたい」

――最後に同社全体での今後の課題は。

 「事業継承は当社にとっても重要な課題だ。次世代にいい形で引き継ぐために、販売力や加工などの技術力、財務体質などあらゆる面で強化していきたい。また本社の周辺には、平野配送センターと平野工場がある。この3拠点を1つにすれば加工や人手、物流などさまざまな面で効率化が図れる。ただ今のところ具体的な話しではなく、次の世代で実現していく検討課題だ」

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