【武部産業が創業70年】「考動する集団」に、ISO取得活動通じ

「直需志向」掲げ組織力強化

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建機に加え建材分野もプラズマなど更新、高品位加工が可能に

 厚中板の溶断加工業である武部産業(千葉県浦安市鉄鋼通り)が、1947年(昭和22)11月20日の創業以来、この11月で70周年の節目を迎えた。その足跡を振り返るとともに長澤裕介社長に今後の展望を聞く。(文中、敬称略)

 創業者は、現社長の長澤裕介の祖父である中谷半治。中谷は香川県小豆島に生まれ育つ。

 同じ小豆島の出身者に、武部兵一がいた。武部は、大正年間に大阪で鉄屋修業し、上京したのち東京・本所の地で「武部シャーリング工業所」を立ち上げた人物である。

 中谷の姉小春が武部兵一に嫁いだことが縁で、中谷は義兄が営む武部シャーリング工業所でシャー修業を積む。独立の際には、当時の武部シャーリング工業所の「亀沢倉庫」(本所亀沢地区)を譲り受けてシャー業を始めた。

 義兄である武部の世話があって独立できた「恩義」を忘れないために、社名に〝武部〟の屋号を入れ「武部産業」とした。ここから起算して今年11月が創業70年となる。

 シャーリングマシン1台で中厚板の剪断を始める。亀沢倉庫は間口が狭い分、奥行きが広く、商売が軌道に乗るとポータブル切断機を入れてガス溶断も手掛けた。鉄板をシャー切りする音の凄さと現場の奥で専任がポータブルで黙々と鉄板を溶断している姿が、幼少期の思い出として今も長澤の記憶に残る。

親子2代を襲った不運

 時あたかも日本の高度経済成長期。事業は順調に成長し、東京オリンピック開催も決まった矢先の昭和35年に中谷が脳卒中で倒れる。まだ仕事人として脂の乗り切った52歳の若さだった。その4年後には2度目の脳卒中に見舞われる。

 元気なころは「酒なら軽く一升、腰を据えれば二升」という酒豪であり、狩猟が趣味でシーズンになると優秀な猟犬(ポインター犬の富士号)を引き連れ出猟し、地元本所猟友会の会長も務めたほどのアウトドア派だっただけに不運だった。

 このころ、すでに実質的に会社を切り盛りしていた長男の誠之助が、昭和48年に正式に社長に就任する。誠之助は、現会長の中谷誠一郎の実父である。

 ただ誠之助も、昭和51年12月に仲間内のゴルフコンペで脳溢血となる。幸い、一命は取り留めたものの重度の障害が残り、リハビリに励んだが社長業復帰には至らず。誠之助の実弟(半治の次男)で専務だった中谷友之が実質的な指揮を託され、番頭格はじめ従業員の結束とともにこの有事を乗り切る。労苦も多かったが、対外的な信用・信頼も備わった昭和59年11月に友之が3代目社長に就いた。

浦安でCAD一番乗り

 誠之助が倒れる1年前の昭和50年に工場を浦安鉄鋼団地に移転すると同時に、アイトレーサ式のガス溶断機を設置。溶断事業に本格参入する。併せてアイトレーサ式プラズマ切断機も導入し、4メートルシャーとあわせて加工設備の充実を図る。

 昭和61年には浦安鉄鋼団地内で最初にCADを導入する。初めて目にするCADシステムに、関心を持つ同業者が何社も見学に訪れ話題になった。

 このころ、誠一郎が学業の傍らアルバイトで現場仕事を手伝い、CADも担当。卒業と同時に入社している。遅れること数年が経って長澤裕介とその弟の雅光(現専務)も入社。第3世代が顔をそろえる。

 友之は武部産業の社長を務めながら、平成2年に千葉の八街でレーザ加工専業の「ティーエルシー」を設立する。中厚板分野にもレーザ加工技術が徐々に普及し、3×6や4×8材だけではなく5×20、8×20、8×40サイズといった広幅長尺母材をタテヨコに並べて昼夜を問わず連続スケジュール運転できる門型レーザを溶断機メーカーが開発・商品化した時期である。

 武部産業とは資本関係はなく関係会社という位置付けだが、両社間で相互加工委託することで受注間口を拡充。のちに武部産業がレーザを導入するきっかけともなった。

第3世代が舵取り、シャーから撤退

 第3世代の成長を見届け、友之は平成18年1月に自らは代表権を持たない会長となり、甥の誠一郎と長澤裕介に代表権を付与。誠一郎を社長、長澤裕介を副社長に据えた。2人はいとこ同士で年齢も1歳ちがい。同世代による二人三脚であり、ここに長澤裕介の弟雅光も加わる。

 バブル崩壊後の長く暗いトンネルを抜けだし、中国などアジア新興国経済の台頭による久方ぶりの好景気に浴したころである。誠一郎は2代目社長誠之助の長男。会社の舵取りを〝直系筋〟に戻した格好ともなった。

 その2年11カ月後の平成20年11月。誠一郎が会長となり長澤裕介が5代目社長となり、現在に至る。

 同年9月にリーマンショックが起き、新体制発足とともに世界同時不況が訪れるが、世代交代を果たした武部産業は、若い経営陣の舵取りと社員の踏ん張りで難を乗り越える。

 好況期に加工設備のリフレッシュ更新や増強投資を行い、平成17年には最新鋭400Aプラズマ切断機を導入。これを機に、それまでの建機向け主体だった業容に新たに建築鉄骨や橋梁といった建材分野へ間口を拡げ、リスク分散を図ったことも危機突破に奏功した。

 そしてこれと同時期に創業来の〝看板設備〟だったシャーリングを撤去し、4KWレーザ切断機を設置する。シャーリングには罫書き工程が伴うが、この重筋作業を担う職人が高齢化する一方で若手の職人が育たず、しかもシャー切り特有の断面ダレやバリを嫌がる客先が、9ミリ以上はガスやプラズマ、レーザ切板に切り替えるようになり、シャーのニーズが減ったからだ。

 レーザ加工は初めてということもあり、関連会社のティーエルシーから中古の門型を移設。ここでしっかりとノウハウを蓄積し、平成25年秋には最新鋭の4KWレーザにリプレースするが、シャー撤去は70年の歴史において一つのエポックな出来事だった。

若手台頭、挑戦意欲も

 東日本大震災で地盤液状化被害に見舞われた浦安鉄鋼団地。武部産業では、床面が微妙に傾斜した事務所棟の全面改築を決める。この機会に工場建屋を増築し、レーザ定盤のレール延長とガス溶断ヤードの増床も実施した。東京オリンピック開催が決定し、首都圏の建設需要増が見込まれるなか切板加工能力を拡充し、顧客ニーズに応えるためだ。

 直近も機械開先設備の新設やプラズマを劣化更新し、建築構造専用「SN規格材」も常備した。とりわけプラズマは「水位調整タイプの水テーブル式ツイスター500A」を採用。高規格材でも安定して高品位加工でき、これが評判となって「ツイスター指定」の切板注文がくるほど。これらハード(設備)面に加え、にソフト面の取り組みでは品質ISO認証を取得したことが挙げられる。

 社内の環境整備、社員の意識改革を目的に平成24年末から活動を開始し、翌年9月に認証を取得。建材関連で特に要求されるトレーサビリティ(生産履歴管理)の徹底などはもちろん、認証取得プロセスの過程で学んだPDCAのサイクルを通じ「考えて行動する集団づくり」と「一人ひとりが率先垂範する風土」ができた。

 古い体質を脱し、若手が台頭する雰囲気が広まりつつある。専務の長澤雅光を中心に、直需向け新規営業開拓を組織力で戦略的に挑戦するようになり、成果も上げている。

 本社工場に近接する同じ浦安第1鉄鋼団地内で、新たな事業拠点も確保した。年明けの稼働開始に向け、レーザシステムや多機能ドリルマシンが設置される。

 需要期到来とともに迎えた70周年の節目は、次の80年、90年そして100年…に向けた良き門出となる。(太田 一郎)

長澤裕介社長に聞く/「不変と革新」伝統重んじ改革に挑戦「武部兵一氏」への恩義忘れず

――節目を迎えた心境は。

 「おかげさまで創業・設立から70年を迎えることができました。この間のお客様・取引先のご支援に対し、まずは社を代表して心から御礼申し上げるとともに、今の我が社があるのも、創業者・中谷半治を鉄屋として育てあげ〝暖簾分け〟してくださった武部シャーリング工業所の創業者・武部兵一さんの御恩があってこそだと感謝しております」

武部産業・長澤社長

 「また私は5代目ですが、これまで会社を牽引してきた歴代社長はじめ幾多の景気浮沈を乗り越えてきた多くの諸先輩、そして現役社員にも、この場を借りて感謝したい」

――この間、一族による独立経営を貫いてきました。

 「お客様を大切にするとともに従業員も大切にするという、創業者の精神を守り続けてきたことに尽きると思います。どんなに大変でも顧客ニーズを全うし、どんなに経営が苦しくても社員の待遇を悪くしないという歴代トップの伝統を、何とか私も実践するよう心掛けております。それと、何と言っても創業の機会を与えて下さった武部兵一氏への恩義を忘れないことが原点にあります。なぜ社名に『武部』が付くのかを、社員一人ひとりが理解しています」

――きょうからまた新たな歴史の一歩です。

 「70周年は、節目であるとともに通過点です。私は『100年企業に向けた不変と革新』を掲げました。変えてはならないものと変えるべきものを見極め『不易流行』の精神で事業経営に取り組みます。明確な企業理念と経営方針を打ち出し、それを遵守しながら伝統を重んじ、改革にも躊躇せず、顧客重視を徹底しながら従業員を尊重する。創業家の存在が、客先そして従業員にとって精神的支柱であり続けるためにも『創業者スピリット』を重んじる社風を形成し続けたい」

――需要環境もようやく好転しつつあります。100年に向けて幸先いいですね。

 「振り返れば、わが社もこれまでに何度も経営危機に見舞われましたが、歴代トップの舵取りと社員の奮闘努力で乗り切ることができました。また、顧客の要望に対し、真摯に応えてきたことで信用と信頼をいただけたんだと思います。こうした歴史の上に今日があり、おかげさまで足元は恵まれた受注環境にあります。加工能力を高め、人材を育成し、設備機能も拡充してきましたが、現有のキャパシティではこれ以上の受注量に対応し切れなくなっております」

 「そこで近所に工場を賃借し、最新鋭レーザ加工システムと多目的ドリルマシンを設置することを決めました。明年2月から稼働できる予定です。結果的に、これを『不変と革新』への具体的な取り組みと位置付け『節目に相応しい新たな事業展開』となるよう、全社一丸で成功させたいと考えています。実は、品質ISO認証取得プロセスを経て社内の雰囲気も良くなり、社員の意識も変わったことを私自身が実感しております。今の良好な雰囲気を『全社一丸の力』として結集し、さらなる顧客満足度向上につなげていくのが私の使命と自覚しています」

――足元の概要は。

 「最盛期はバブル期の月産600トン。シャー全盛のころでした。足元は切板製品ベースで月産350~400トンですが、新工場が軌道に乗ればプラス200トンが見込めます。社員も新たに4人を採用し、計26人の所帯となり、人手不足問題を何とかクリアしました。かつては仲間取引9割でしたが、今は直需比率を高めて仲間向けとの比率がほぼ半々。今後も直需志向を強めていく計画です」

 「武部産業では(1)鋼材加工の仕事を通してモノづくりを支え、人々の豊かな暮らしと幸福・社会の発展に貢献します(2)お客様に喜ばれる仕事をします(3)社員と家族を守ります―を経営理念に掲げております。これからも〝小粒だかキラリと光る存在感〟となるべく精進する所存です。引き続きご指導ご鞭撻をよろしくお願いします」