【特集】「歴史問題は川のような存在」 南京大虐殺記念館長に聞く

インタビューに答える南京大虐殺記念館の張建軍館長(共同)=2017年8月

 中国の人々は会話に故事成語や例えを用いることが多いという。直接表現を避け、かつ余韻を持たせる形で相手に自分の思いを伝達する手法は、ダイアローグ(対話)のために有効かもしれない。特に意見が対立していたり、認識が共有できていなかったりする時、歩み寄りに役立つはずだ。記者は8月、中国江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問。1937年に旧日本軍が中国国民政府の首都・南京を占領した際に中国人大量殺害などの悲劇を生んだ南京大虐殺(南京事件)から12月で80年を迎えるのを前に、張建軍館長が日本の報道機関のインタビューに初めて応じてくれた。(共同通信=大阪社会部・真下周)

 ▽80年の歴史認識

 果たして張館長の口から紡がれる言葉は話法のオンパレードだった。歴史認識を巡って織りなされる彼の思いの機微や見え隠れする真意に、日本人として耳を傾けてみたい。皆さんはどう受け止めるだろうか。

 ―南京事件を詳しく知る日本人はほとんどいない。無関心なのか、あるいは「南京大虐殺」というインパクトある言葉を前に、避けたい気持ちがあるのではないか。

 「(危険が迫ると頭を砂の中に隠してやり過ごすとされる)ダチョウのようだ。中国には『敢作敢当』という慣用句がある。間違いを犯したら勇気を持って向き合うべきだという意味だ。以前、日本人の友人が私に尋ねたことがある。『なぜあなたたち中国人は80年も過ぎるというのに、まだこの歴史にこだわるのか』と。だが、もし日本人が国際社会の中で、南京大虐殺を否定し、あまつさえ強弁するのであれば、それこそが『こだわり』をやめていない心境なのだろう」

 「中日間で、歴史問題は川のような存在だ。渡るしかない。しかし川を渡る日本人は、まず背負った荷物を下ろさなければならない。否認や反論する気持ちで歴史を見ているなら、川の水が染みてきて、荷物はますます重くなる」

 ―日中で犠牲者数をめぐって論争がある。中国側が30万人、日本側は研究者の見解を引用しつつ、20万人を上限としている。

 「人数に関しては、現在の国際社会には、最も核心的な根拠が二つある。一つは、東京裁判の判決文の『虐殺された人数は20万人を下らない』という部分。続く一文に『日本軍に虐殺された後、長江に捨てられた人、殺された後に(燃やされたり埋められたりして)証拠が残らないようにされた人は含まない』とある。もう一つは南京軍事法廷で出された30万人以上という数字で、この(一文の)数を加えたものだろう。日本はサンフランシスコ講和条約でこれらの戦後裁判の結果を受け入れた」

 「80年たった今、犠牲者数をめぐって争うのはおかしい。広島の原爆の犠牲者数について、全員の正確な名簿を出して証明せよと要求されたら、あなたがたは傷つくはずだ。もし80年前に犯罪集団があなたの家に押し入り、あなたの父母を殺害し、姉妹を強姦し、財産を奪い、家を燃やしたとしよう。80年後に彼らと対峙したとき、『殺したのは7人か6人か。盗んだ金は10元か9元か』と言い争ってきたら、一体これはどういう状況だろうか」

 ▽「反日教育」ではない

 ―中国で反日教育が行われているとの指摘がある。だが南京に来てみて、市民から激しい感情をぶつけられることはなく、意外に思った。

 「他人が自分をどう見ているか気にするのはどういう人か。総じて自信がなく、疑い深い。過ちを犯したことを認めないが、不安には思っていて、他人が自分の陰口をたたかないか、自分に不利なことをしないか心配している。中国で昔から言われている『君子坦蕩蕩、小人長戚戚』という言葉がある。君子は悠々として落ち着いているが、小人はいつもびくびくして心が休まらない、という意味だ。中国はこれまで反日教育をしたことはなく、あるのは抗日教育だけだ。反日とは日本に関係する全ての人やものに反対する態度で、抗日とは日本が中国を侵略した歴史に対して反対する態度だ」

 「昨年、熊本日中友好協会の方が記念館を訪問し、帰ったあとに熊本地震に遭った。電話もつながらず、私も職員も彼らの安否を非常に心配した。その夜、微博(ウェイボ)の公式アカウントを使って、『大丈夫ですか』とお見舞いと安否確認のメッセージを発信した。特殊な立場にある記念館が被災地にこのようなメッセージを送るのが適切かとの声もあったが、災害に際し友人にお見舞いを送るのは当然のことだ。8、9万人がメッセージに『いいね』やコメントを寄せ、びっくりした。中国には反日教育など存在しないことを証明している」

 ▽どう向き合うか

 ―日米では昨年、オバマ前大統領の広島訪問、安倍首相のハワイ真珠湾訪問があり、先の戦争の歴史的和解が進んでいると言われる。

 「事件から80年もたつのに、日本の現職首相が一度も南京を訪れていないのは奇妙なことだ。現職リーダーの訪問を期待している。日本とアメリカは戦後、特殊な関係だ。中日(関係)とは、直面する歴史や状況が全く異なる。現実の利益にとらわれて優柔不断でいると、歴史問題で前進するのは難しいだろう。将来、歴史の責任を負う日本の友人がさらに多く現れると信じている」

 

 ―安倍首相はどうか。

 「ハハハ、どう言えばいいか…。私たち中国人は、誰であろうと他人をあてにはしない。日本がどう自分自身で歴史に向き合うか(が重要)だ。ネットではやった言い方だが、『彼が来ても来なくても歴史はそこにある』ということだ」

 ―日本は歴史問題をうまく清算しないまま来ている。日本とドイツの戦後処理はどこが違うか。日本はこの先どうすればよりよい状態になるか。

 「ドイツではナチスの思想を伝えること自体が犯罪だ。日本の場合、街宣車で軍国主義を訴える行動が、言論の自由と主張されてしまう。このまま放っておくと隣国として非常に不安を感じる。私が付き合っている日本の友人たちは上品で礼儀正しく、とてもマナーがよい。そのような民族がなぜ今のような状況を作り出しているか理解できない」

 「私の祖母の村は(南京攻略後に進軍した)徐州だが、占領されたあと日本兵が家に押し入り、銃剣を突きつけてすべての財産を要求し、出させた。祖母の家で強奪した数人の日本兵は、国内にいるときは愛国青年だったのだろう。日本は脱亜入欧し、西洋の先進的技術を学ぶことで発展した。だが最も重要なことは人類、そして生命に対する尊重だ。これが軍国主義に対抗する武器だ。そのためには歴史の細部よりも、歴史を見る史観を持つことで、それにより民族であれ国家であれ、さらに成熟していくことができ、歴史の重荷を下ろして未来に向かっていける」

 ―安倍首相は2年前、戦後70年の節目に「あの戦争と何ら関わりのない世代の若者に謝罪し続ける宿命を負わせることはできない」とする談話を発表した。

 「記念館として、SNSの微信(ウェイシン)で1冊の本を紹介した。当時、中国を侵略した日本兵と息子の会話のやりとりだ。最後に父親が『もし自分が参加した戦争を侵略戦争と認めれば、私の人生を否定するのと同じことになるのが怖い』と胸中を語ると、息子はこう答えた。『あなたと一緒に侵略戦争の責任を背負って、前に進みたい』。中国で出版されたこの本のタイトルは『一道背負』(田中信幸著)という。私たち中国人は、若い人にこの罪を背負わせることは必要としていない。ただ最低限、正確な歴史認識は必要だ。正しく認識しなければ、永遠の重荷を背負うことになる。人生において非常に分かりやすい道理ではないか。幸存者(南京事件を経験した生存者)の口述記録に次の一説がある。『すべては過去だ。私たちは、未来の友好に向かわなければ』」

 【南京大虐殺(南京事件)】旧日本軍が1937年12月、中国国民政府の首都南京を攻略、陥落させ、短期間で中国軍の敗残兵や捕虜、一般市民を南京城内外で殺傷し、暴行したとされる事件。総司令官だった松井石根陸軍大将が東京裁判で死刑判決を受け執行された。犠牲者数は中国側見解で30万人以上。日本政府は「非戦闘員の殺害や略奪行為などがあったことは否定できない」とする一方、人数には言及していない。事件の規模や虐殺の定義、戦時国際法違反だったかを巡り論争が続いている。

記念館の壁には「犠牲者30万人」と大きく表示されていた(共同)=2015年7月
記念館で行われた犠牲者追悼式典(共同)=2016年12月

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