【MLB】メジャーで日本人野手絶滅危機!? イチロー、青木がFAで来季ゼロの可能性

マーリンズからFAとなったイチロー【写真:Getty Images】

日本人野手メジャー第1号は、2001年のイチロー

 青木宣親に続いて、イチローもFAになった。2人の去就が気になるところだが、もう1つ「日本人MLB野手」の系譜がどうなるかも気になるところだ。

 NPB出身の日本人メジャーリーガー第1号は、1964年の村上雅則だ。南海ホークスから野球留学でマイナーでプレー。その投球を評価され、メジャー昇格を果たした。

 そこから時間が空いて、1995年の野茂英雄が2人目となり、野茂の大活躍で、NPBから多くの選手がMLBに移籍するようになった。しかし、それはすべて投手だった。

 NPB野手のMLB移籍第1号は2001年のイチロー。オリックス・ブルーウェーブからシアトル・マリナーズにポスティング制度を利用して移籍した。阪神タイガースの新庄剛志がFAでニューヨーク・メッツに移籍したのも同年だった。

 移籍当時28歳のイチローは、いきなり首位打者、最多安打(新人の安打記録更新)、盗塁王、新人王、そしてMVPまで獲得。全米を驚かせた。イチローの活躍以降、日本人NPB野手も続々とMLBに移籍した。

 その系譜を見ていこう。

○2001年 2人
イチロー、新庄剛志
2002年 3人
イチロー、新庄剛志、田口壮
2003年 4人
イチロー、新庄剛志、田口壮、松井秀喜
2004年 4人
イチロー、松井稼頭央、田口壮、松井秀喜
2005年 6人
イチロー、松井稼頭央、田口壮、松井秀喜、井口資仁、中村紀洋
2006年 6人
イチロー、松井稼頭央、田口壮、松井秀喜、井口資仁、城島健司
2007年 7人
イチロー、松井稼頭央、田口壮、松井秀喜、井口資仁、城島健司、岩村明憲
2008年 8人
イチロー、松井稼頭央、田口壮、松井秀喜、井口資仁、城島健司、岩村明憲、福留孝介
2009年 7人
イチロー、松井稼頭央、田口壮、松井秀喜、城島健司、岩村明憲、福留孝介
2010年 5人
イチロー、松井稼頭央、松井秀喜、岩村明憲、福留孝介
2011年 4人
イチロー、西岡剛、松井秀喜、福留孝介
2012年 6人
イチロー、西岡剛、川崎宗則、松井秀喜、青木宣親、福留孝介
2013年 4人
イチロー、田中賢介、川崎宗則、青木宣親
2014年 3人
イチロー、川崎宗則、青木宣親
2015年 3人
イチロー、川崎宗則、青木宣親
2016年 3人
イチロー、川崎宗則、青木宣親
2017年 2人
イチロー、青木宣親

ピークは2008年、内野手、外野手、捕手で合計8人がプレー

 2008年には8人ものNPB出身日本人野手がプレーした。捕手、内野手、外野手とポジションも多岐にわたっていた。

 しかし、これをピークにその数は減っていく。その大きな理由の1つは、MLBで実績を上げられない選手が多かったことにある。

 千葉ロッテから2011年にミネソタ・ツインズに移籍した西岡剛は、在籍2年での出場はわずか71試合。2年目は3試合しか出場せず、ほぼマイナー暮らしだった。また、西武ライオンズから2013年にアスレチックスへ移籍した中島裕之(現宏之)は、MLBに昇格できず2年間マイナーでプレーした。

 こうしたこともあって、MLB側のNPB野手への評価が下がったことは否めない。

 また、NPB側も野手のMLB挑戦に慎重になった。糸井嘉男、鳥谷敬などが一時期MLB挑戦を表明したが、結局、NPBにとどまった。

 日本人野手のMLB挑戦は2013年の田中賢介を最後に途絶え、昨年までは3人、そして今年はイチロー、青木宣親の2人になっていた。

 今オフにMLB挑戦を表明したNPB日本人野手は、現時点ではいない。イチローと青木がFAになったことで、最悪の場合、来季の日本人MLB野手はゼロになる可能性がある。

 メジャー志向が強い清宮幸太郎は、将来的にはMLBに移籍する前提で日本ハムに入団すると見られている。しかし、清宮が順調に成績を上げてMLBに挑戦する頃には、MLBに日本人野手は1人もいない状況になっているかもしれない。

 今季、MLB挑戦が確実視される日本ハムの先輩、大谷翔平は打者としての期待もあるが、それとは別に日本人MLB野手の系譜も続いてほしいものだ。

 このままでは、イチローで始まったNPB野手のMLB挑戦は、イチローとともに1つの区切りを迎えることになりかねない。

(Full-Count編集部)

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