「NPBのレベルは本当に高かった」“G最強助っ人”回想、MLBに通用した5選手

ウォーレン・クロマティ氏【写真:編集部】

クロマティ氏が振り返る“戦友”、メジャーに通用した可能性がある5人とは

 巨人史上最強の助っ人と称されるウォーレン・クロマティ氏。1984年に加入すると首位打者、MVP、ベストナインなど数々のタイトルを獲得し、大きな輝きを放った。1990年に退団するまで通算779試合に出場。打率.321、171本塁打、558打点と好成績を残した。

 60歳を過ぎた今でも来日し、その元気な姿を披露。今夏には宮城県石巻市で行われたリトルリーグ小学4・5年生の全国大会「MLBカップ」にゲストとして参加し、16チーム、250人の野球選手に直接指導を行った。その際は2か月間滞在してプロ野球を視察するなど精力的に活動した。

 そんなクロマティ氏がこのほど、巨人でプレーした当時を振り返り、メジャーリーグで活躍すると確信した5人の実力者がいたことを明かしてくれた。同氏が真っ先に挙げたのは秋山幸二氏だ。

「昔のNPBのレベルは本当に高かった。当時メジャーでも活躍できる実力を持った選手はいた。アキヤマはまさにそうだ」

秋山氏は「どのチーム、どのラインアップでも活躍できた」

 自身メジャーで通算10シーズンプレーしたクロマティ氏はそう話し、西武、ダイエー(現ソフトバンク)で活躍したスター選手を絶賛した。

 2014年までソフトバンクの監督を務めた秋山氏は通算2189試合に出場し、7997打数2157安打で打率.270、437本塁打、1312打点、303盗塁を記録。走攻守三拍子揃った名手として本塁打王、打点王、盗塁王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞など数々の栄冠を手にした。日本シリーズでは西武とダイエーで1回ずつMVPにも輝いてる。

「アキヤマなら、どのチーム、どのラインアップでも活躍できただろうね。彼はいわゆるファイブツールプレイヤーなんだ。ミート能力、パワー、スピード、ディフェンス、バッティング、スローイング、全てを兼ね備えていた。アキヤマはすごいスターになれただろう」

 クロマティ氏は驚嘆した様子でそう振り返った。日本人野手として大成功を収めた選手としてはメジャー3000安打を記録し、有資格1年目での米野球殿堂入りが確実視されているイチロー外野手、ヤンキースで活躍し2009年のワールドシリーズMVPにも輝いた松井秀喜氏らが挙げられる。クロマティ氏が話すように、秋山氏が渡米していたらメジャーで大きなインパクトを残したかもしれない。

そのほかに挙げた4選手は? 「メジャーで生き延びることができただろう」

 また同氏はそのほかに4人の名前を列挙。「アキヤマだけじゃない。ヨシムラ、エガワ、カープの左利きのオオノ、エンドウ。この5人は間違いない。絶対にメジャーで生き延びることができただろうね。オオノとエンドウはどれだけ勝ち星を重ねることができたか、わからないけれど。アメリカでもっと成長できたかもしれないね」と語った。

 巨人でクロマティ氏と共に戦った吉村禎章氏は送球、スピード、バッティングで当時のメジャーで通用するレベルだったという。味方選手との激突による左膝靭帯断裂の重傷を乗り越えた後は、代打として勝負強さを見せつけた吉村氏。巨人一筋でプレーし、通算1349試合に出場。3253打数964安打で打率.296、149本塁打、535打点の成績を収めた。

 またクロマティ氏がメジャーの先発ローテの一角を担えたと評した江川卓氏は1981年に20勝を挙げるなど、通算266登板で135勝72敗、3セーブ、防御率3.02をマーク。一方、沢村賞投手の大野豊、遠藤一彦両氏はクロマティ氏とは敵同士で対戦。大野氏は広島一筋で707試合に登板。148勝100敗、138セーブ、防御率2.90を記録した。また、切れ味抜群のフォークボールを武器とした遠藤氏は大洋(現DeNA)一筋で460試合に登板し134勝128敗、58セーブ、防御率3.49の成績を収めた。

 1995年に野茂英雄投手がドジャースで鮮烈デビューを飾り、日本人メジャーリーガーの門戸を開いた。だが、野茂氏以前にもアメリカを沸かせる可能性がある実力者がいたと、NPBとメジャーを知るクロマティ氏は証言をしていた。

(Full-Count編集部)

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