32年前に自らのゴールで葬った相手をW杯の舞台に連れ戻したアルゼンチン人指揮官

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 11月15日(現地時間)、ニュージーランドとの大陸間プレーオフを制して、実に1982年スペイン大会以来、36年ぶりにワールドカップ本大会出場を果たした南米のペルー。言うまでもなく、国は歓喜に包まれ、この偉業を果たした代表チームを国民の誰もが称賛した。

 貴重な先制ゴールを挙げたジェフェルソン・ファルファンらとともに、「殊勲者」「英雄」として崇められる存在となっているのが、代表チームをロシア行きに導いたアルゼンチン人監督、リカルド・ガレカだ。2005年2月の就任以来、着実にチームを強化し、ついにペルー国民の悲願を成就させた。
 
 長身でスマート、そしてロングヘアが印象的な59歳の指揮官。そんな彼には、ペルーとの不思議な因縁がある。
 
 その関係の始まりは、1985年まで遡る。当時、ガレカはリーベル所属のアルゼンチン代表FWで、翌年開催のメキシコW杯の南米予選にも参戦していた。
 
 当時は現在と異なり、南米予選は10か国が3つのグループに分かれ、それぞれの首位が本大会への出場権を手にした。アルゼンチンはペルー、コロンビア、ベネズエラと同組となり、コロンビア、ベネズエラには、ホーム、アウェーともに勝利を収めた、
 
 しかし、ペルーにはアウェーでスコアこそ0-1ながら、内容的には完敗。そして首位アルゼンチンにペルーが勝点差わずか1と肉迫した状態で、ブエノスアイレスでの最終節を迎えた。
 
 アルゼンチンはペドロ・パスクリ(後に日本でもプレー)のゴールで先制するも、前半のうちにペルーに逆転を許してしまう。ぬかるんだピッチでペースを掴めず、頼みのエース、ディエゴ・マラドーナもアウェーマッチ同様に封じ込まれて、1点ビハインドのまま終盤戦に突入した。
 
 予選敗退がアルゼンチン国民の脳裏をよぎった81分、左サイドから上がった浮き球のクロスを、ペナルティーエリア内でDFダニエル・パサレラが胸で正確にトラップし、角度のない位置からシュート。ボールはGKを破ったが、逆サイドのポストにはね返ってゴールライン上を転がる。
 
 これにいち早く反応して詰めたのが、61分に交代出場していたガレカだった。残り10分を切ったところでの、まさに値千金のゴール! アルゼンチンはこの試合を2-2で乗り切って首位を守り、地元大観衆の前でメキシコ行きを決定。翌年の本大会では、マラドーナが数々の伝説を創り、母国を2度目の世界一に導いた。
 
 予選終了時には、沈黙したマラドーナに代わって、パサレラとともに英雄扱いされたガレカだったが、残念ながら本大会の最終メンバーに残ることはできず。このことは、キャリアにおける最も辛い思い出として、彼の脳裏にこびり付いている。
 
 一方、ガレカのゴールによって土壇場で追い付かれたペルーは、78年アルゼンチン大会から続けてきた連続出場が途絶え、ここから32年間という途方もなく長い沈黙の時が始まった。
 
 93年に現役を退き、監督業を開始したガレカは、国内外のクラブを渡り歩き、前述の通り、2015年にペルー代表監督に就任。同年夏のコパ・アメリカではチームを2大会連続での3位に導き、それから2年後、今度は36年ぶりの喜びをペルーにもたらした。
 
「この結果は、とてもフェアなものだと思う。我々を助けてくれた全ての人々に感謝したい。ペルー代表は、世間を驚かせる素晴らしい集団だ」(『ラ・レプブリカ』より)
 
 試合後にこう語ったガレカ。地元メディアは85年のことを取り上げて、このアルゼンチン人指揮官を「“死刑執行人”から英雄へ」と表現して称賛した。契約満了の時が近づいていたが、本人によると「予選を突破した場合、自動的にW杯まで契約は延長される」とのことである。
 
 来夏、初めて大舞台に上がるガレカ。そんな彼に率いられるペルーは、36年ぶりの本大会でどのようなプレーを披露するだろうか。名手テオフィロ・クビジャスを擁してベスト8入りした70年メキシコ大会、78年大会に続いて好成績を収められるか、非常に興味深い。

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