兄より先に引退を決めた新井良太 強打者たちが立ちはだかったプロ人生

新井良太のこれまでの成績

名門・広陵高から兄・貴浩の後を追って駒澤大へ進んだ弟・良太

 新井良太は中学時代から野球をはじめた。広島の名門・広陵高を経て、6歳上の兄・貴浩の後を追って駒澤大に入学。兄は広島工高は無名だったが、弟・良太は2001年春の甲子園にも出場し、駒澤大では1年から4番。東都大学リーグ歴代8位タイの14本塁打を放った。屈指の強打者として、中日に2005年の大学・社会人ドラフト4位で指名された。

 188センチ98キロの体格は、189センチ102キロの兄とほぼ同じ。日本人としては大型の野手だった。ファームでは1年目から4番に据えられて規定打席に達し、10位の打率.254を記録。一塁を34試合、三塁を52試合守った。1軍初出場は、この年の7月25日の阪神戦(ナゴヤドーム)。7回裏に中田賢一の代打で登場し、能見篤史に三振を喫している。

 当時の中日は、落合博満監督の下、常勝軍団を形成していた。一塁にはこの年、本塁打、打点の二冠王に輝いたタイロン・ウッズがおり、三塁には森野将彦とベテラン立浪和義が。なかなかチャンスは巡ってこなかった。

 翌2007年には、三塁に中村紀洋が加入し、ゴールデングラブを受賞。ウッズも一塁でベストナインとなり、新井良太は29試合に出たが、7安打だけ。2008年もウッズと中村がそれぞれ一、三塁に陣取り、新井は24試合の出場に留まった。ウッズが退団し、中村が楽天に移籍した2009年は一塁には新外国人トニ・ブランコが入り、本塁打、打点の二冠王に輝き、三塁は森野将彦が復帰してフル出場した。新井良太はわずか8試合の出場だった。

 2軍では2008年に規定打席には未達ながら打率.332を記録するなど屈指の強打者となっていたが、入団4年目の2009年まで1軍では0本塁打。2010年になってようやく初本塁打を記録したが、4年目で全試合出場を果たした兄とは程遠い成績であった。

2010年からは兄弟で阪神に在籍してチームメートに

 2010年オフに水田圭介との交換トレードで兄・貴浩も在籍していた阪神へ移籍した弟・良太。阪神の1軍でプレーした兄弟選手は初代ミスタータイガースの藤村冨美男と通算135勝の藤村隆雄兄弟と、1984年のドラフトで同時に入団した嶋田章弘(弟1位 投手)、島田宗彦(兄4位、捕手)兄弟がおり(他に、時代は重ならない兄弟選手として西村一孔、西村公一がいる)、新井兄弟は3組目となった。

 皮肉なことに、阪神では、ポジションが被る兄が弟の前に立ちはだかることになった。良太は外野も守るようになるが、1年目は43試合出場止まり。2年目の2012年、良太は主に三塁を守って110試合に出場。規定打席には未達だったが322打数90安打11本塁打32打点を記録した。この年の兄は一塁で122試合に出て460打数115安打の打率.250だったが、本塁打は9本。初めて弟が本塁打数で兄を上回ったシーズンとなった。

 この2012年は兄弟ともに100試合超に出場。同じ年に同一チームで兄弟がそろって100試合以上出たのはロッテのレロン、レオンのリー兄弟(1978年~1981年)に続いて2組目。日本生まれの兄弟では初めてのことだった。新井兄弟は翌2013年も揃って100試合超に出場。弟・良太の119試合357打数85安打14本塁打51打点、打率.238に対し、兄・貴浩は140試合476打数127安打15本塁打70打点、打率.267の成績を残した。

 ただ、弟・良太の出場試合数は、この2013年がキャリアハイ。以降、出場機会は減少していき、2015年は兄・貴浩が古巣・広島に復帰。そして、弟は今季限りでの現役引退を表明した。新井兄弟が揃って阪神に在籍したのは2011年から2014年の4シーズン。この間に、アベック本塁打なども記録した。

 引退後は2軍の育成コーチへと就任する新井良太。1軍での通算成績は、630試合1253打数298安打40本塁打151打点、打率.238。兄よりも素質で勝ると言われながら、成績は兄にはるかに及ばなかった。何と言っても伸び盛りの20代に、中日で控え選手に甘んじたことがキャリアに響いた。初めて100試合に出たのは29歳。遅咲きだったことは否めない。苦労人だっただけに、指導者としての成功を祈りたい。

(Full-Count編集部)

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