電話対応で培った“忍耐力” オリドラ1山岡を成長させた「社会人の3年間」

インタビューに笑顔で応えるオリックス・山岡泰輔【写真:篠崎有理枝】

1年目で先発ローテを守った右腕、社会人野球選択は「良かったことしかない」

 今季24試合に登板、8勝11敗、防御率3.74の成績を残し、新人で唯一規定投球回に到達したオリックスのドラフト1位ルーキー、山岡泰輔投手。広島・瀬戸内高を卒業後、社会人の東京ガスを経て入団した右腕は「社会人での経験がなければ、今季の成績を残せなかった」と話す。「社会人ナンバーワン投手」と注目を集め、即戦力として先発ローテを守った22歳は、社会人の3年間にどんな経験を積んだのだろうか。

 高校卒業後、「ストレートをよくしたい」という目標を持ち、野球に集中できる環境に身を置くため、社会人野球の世界に進むことを決めた。しかし、初めて社会人野球の試合を見た時はレベルが高いと感じ、自分の力で通用するのか不安になったと振り返る。

「社会人野球の大きな大会は、トーナメントのため負けたら終わり。1球に対する思いは、野球の中では社会人が1番だと感じました」

 1年目は自分の思うように投げることができたが、2年目からは打者が対応してきたため、苦労したという。2年目からチームのエースとして活躍する中、都市対抗野球大会ではエースゆえのプレッシャーに苦しんだ。同大会では、厳しい予選を勝ち抜かなければならず、強豪チームでも出場を逃すこともある。そのため、自身の状態を万全に保つため、予選の時から外にも出られない状態が続いたという。

「外に出ると、ケガをしてしまうのではないかと考えてしまい、外出もできませんでした。寝る時も『右肩が下になっていないかな』『寝違えないかな』などと考えてしまい、熟睡できない。生ものを食べないようにするなど食べ物にも気を使い、苦痛でした」

社員から寄せられた大きな期待、「必ず勝つ」のプレッシャー

 試合前は、部屋でひたすら対戦相手のビデオを見て研究し、それをノートに書き留める作業を繰り返していたという。寮の部屋を一緒に使うチームメートは、気を使って他の人の部屋に行き、山岡のいる部屋には帰ってこなかった。

 予選を勝ち抜いて、都市対抗野球大会に出場を決めても、1回戦を投げることが決まっていたエースには、さらなるプレッシャーがかかった。社員は東京ドームで応援するために、1回戦だけでなく「山岡が投げれば必ず勝つから」と2回戦の日も休みを取った。社内で会う人には「1回戦投げるんでしょ。じゃあ大丈夫だ」と声をかけられたという。

「チームも『1回戦は山岡が投げるから大丈夫。2回戦のことを考えよう』という雰囲気になるんです。『1回戦は勝てる』というプレッシャーは、えげつないですよ(笑)」

 そんな「負けたら終わり」という試合を経験したことは、プロでも生きると考えている。

「社会人とプロは違うと思うけど、日本シリーズの優勝決定戦の先発とか、2連覇がかかっている試合とか『勝てば』っていうところに合わせることは、ほかの人より出来ると思います」

電話対応で培った“忍耐力”「謝ってばかりいました」

 大事な一戦にコンディションを合わせることだけでなく、社内での仕事の経験も、精神面の成長に役立ったという。山岡が行っていたのは、ガスの点検日の日程変更を受け付ける電話対応だ。

「『この日に点検させてください』というハガキを入れるのですが、都合が合わない人が、変更の電話をかけてくるんです。こっちから頼んでいるものですし、向こうはお客様なので、謝ってばかりいました。我慢はそこで覚えましたね。プロでは、プレーでファンの人に喜んでもらえる時もあるけど、怒られる時も絶対ある。そこは我慢して、返す時はプレーで返さなくてはいけないと思っています」

 広島・瀬戸内高では、3年時に夏の甲子園に出場。大会後に行われた第26回AAA世界野球選手権大会では日本代表としても活躍したが、プロ志望届は出さずに社会人に進んだ。その選択に、後悔はない。

「プロで、野球に集中できる環境の中で3年間やった方が技術的には良くなったかもしれない。でも、社会人の3年間を経験していなかったら、人とのコミュニケーションの取り方や信頼関係の築き方など、人間的な部分は今とは全く違うと思います」

 1球に懸ける思い、そして、仕事をする中で学んだ人との接し方。「社会人に行って良かったことしかない」と胸を張る右腕は、自身の経験を糧に、プロの世界で更なる高みを目指す。

(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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