15歳で父を失ったディバラ、キャリアの始まりと家族との絆とは

『France Football』は20日、ユヴェントスのアルゼンチン代表FWパウロ・ディバラのインタビューを掲載した。

2012年に2部のインスティテュートからパレルモに移籍し、イタリアで大ブレイクしたディバラ。2015年にはユヴェントスと契約し、『NEXTメッシ』とも言われるようになった。

今季からはユヴェントスの伝統の10番を受け継ぐことになり、ますますクラブの重要な存在になっている。

彼は自身のキャリアの初期について以下のように話し、15歳の時に亡くなった父親のおかげで今があると語ったという。

パウロ・ディバラ 「僕はプレッシャーを感じたことはなかったよ。

父親は厳しい要求をしたが、それはプレーのレベルに沿ったものだった。今の僕があるのは、彼のおかげなんだ。

毎日彼は向上することを求めた。しかし、『サッカーをやらなければこれは買わない』などと言われたことはないね。

彼は試合や練習のたびにコルドバまで送ってくれた。15歳のときに彼が亡くなったあと、バスに乗って一人で行くのは辛かったよ。

当時所属していたインスティテュートは、しばらく地元のクラブでプレーできるように掛けあってくれた。家族とともにいられたよ。

僕のモチベーションの源は、父親から兄弟になっていったよ。

父親を失うことは辛い。しかし、これは人類最初で最後の出来事でもない。人生は続いていくものだ」

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パウロ・ディバラ (インスティテュートでその後デビューして『宝石』と言われたね?)

「コルドバのジャーナリストがそう言っていたんだ。2回目の試合でゴールを決めたあとにね。家族や友人は『パウロ』と呼ぶよ」

(2部でプレーしたあと、国内ではなくイタリアのパレルモへ行くことを決めたね)

「僕は典型的なキャリアではないよね。それはわかっている。

大きなアルゼンチンのクラブで育ったら、プレッシャーの大きさを理解し、ヨーロッパのために準備ができる。

国内に残ることもできたが、パレルモからオファーが来た時に『なぜここじゃダメなんだ?』と思った。

エディンソン・カバーニやハビエル・パストーレのことを考えた。家族には、『僕は成長のために行きたい』と言ったんだ。

イタリアのサッカーは知っていたけど、まさか全試合に出場できるとは思っていなかったね!」

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