【第7回】思いやり社会を再び 孤食防ぐ「こども食堂」  東京の八百屋から全国へ

食事を運ぶ少しの合間にも利用者に声をかける近藤博子さん。大勢での食事はにぎやかで楽しそうだ=東京都大田区(撮影・萩原達也)

 2010年春、近くの小学校へ入学した男の子は、一緒に暮らす母親が病気で食事を作れず、朝食と夕食はバナナ。昼の給食が頼みの綱で、先生が保健室でおにぎりを食べさせることもある。
 東京都大田区の近藤博子さん(57)は小学校の関係者からこんな話を聞き、バナナを1人で食べている子どもの姿を想像してみた。すごく寂しいだろうなと思った。悲しくて仕方がなかった。
 何かできないか。友人と相談し、子どもが1人でも利用できる食堂を開けないかと思い描く。

 

 ▽店はシェアスペース

 近藤さんは歯科衛生士として長年働いた経験から、生活の中で重要なのは「食」と考え、08年に東急池上線蓮沼駅のそばで、無農薬野菜や自然食品のお店「気まぐれ八百屋だんだん」を開いた。だんだんは出身地、島根県出雲地方の方言で「ありがとう」の意味だ。
 店内では「手話教室」や小中高校生が100円で塾講師らに勉強を見てもらう「ワンコイン寺子屋」などが開かれ、地域の人が集う「シェアスペース」でもあった。
 広くはないが、以前は居酒屋だったので、台所やカウンター、6畳ほどの小上がりがあり、食堂は開ける。ただ、どんなメニューがいいのか、材料費はどうやって捻出するかなどを話し合っているうちに時間がたち、朝夕バナナだけの子は養護施設へ移ってしまった。
 「何もできなかったと悔やんだ。1人で食事をする『孤食』の子は他にもいるだろう。もうやるしかないと思った」
 12年8月29日、近藤さんは「子ども食堂(その後、こども食堂)」と名付け、だんだんで野菜カレーや煮物などを300円で提供。ワンコイン寺子屋に通う子どもたちや親子連れが訪れた。

 ▽200カ所超える

 

 こども食堂は当初、第2、第4水曜だったが、毎週木曜に。食材の寄付も相次ぐ。現在は子ども100円、大人500円で、持ち帰りも可能。毎回20~40人が訪れる。
 昨年12月15日は近藤さんとボランティア6人がエビ春巻きとブロッコリーのポン酢あん、ポトフなどを作った。3歳の男児と一緒に月1、2回来るという母親は、こども食堂で印象的なこととして「中学生が子どもと遊んでくれたこと」を挙げる。「旦那が遅くて」とこぼす女性もいた。
 70代の男性は「昔は丈夫に育ってほしいから、女の子に『トラ』なんて名前を付けた」と隣の親子連れに教えていた。
 翌週の22日。クリスマスが近いので、メニューはフライドチキンなどで、ケーキも付いた。
 「うちの子は大勢で食べるのが好きみたいで、雨でもここへ来たがる」と4歳の男児を連れた母親。見学に来た長野県茅野市の農業鈴木健司さん(81)は「1人の食事は味気ないし、いい取り組みだ」と感心していた。
 近藤さんは「子ども1人でも、親子連れでも、子ども同士でも、1人で食事するよりは何人かでという大人でもいい。近所の家でわいわいという感じの異年齢交流ができれば」と願っている。
 こども食堂は次第に知られるようになり、いまでは全国各地で開設されるまでになっている。交流・連絡団体の「こども食堂ネットワーク」に参加している食堂は200カ所を超えるという。

 ▽大きな力、みんなで

「にじ色こども食堂」で夕食を食べる子どもたち。奥右から2人目は安田香織さん=札幌市豊平区(撮影・武居雅紀)

 札幌市豊平区の「にじ色こども食堂」。雪が降り積もった今年1月11日は小さな子と母親、1人で来た子ども、連れ立って訪れた子どもたち約30人がピラフやギョーザ、サラダなどを食べた。
 この日は大学生や食品メーカーの社員がボランティアに駆け付けた。ギョーザ作りなどを手伝った中学3年の福本竜貴さん(15)は「料理を教えてもらっている。将来は料理人になりたい」と考えているという。
 にじ色こども食堂を運営する安田香織さん(46)は「近藤さんのところへ見習いに行き、15年12月から始めた。中学生がテーブルを囲む『学習スペース&ランチ』などもやっている」と話す。近藤さんのまいた種が着実に育っているようだ。
 子どもの貧困が社会問題化するのに伴い、地方自治体がこども食堂に補助金を支給したり、自治体が自ら運営したりするケースも出てきた。
 「困難を抱えた子どもを集めて食事をさせているだけと思われるのは困る。こども食堂は生きづらさを感じている子どものこと、人のことを思いやることができる社会を再構築するきっかけであり、ゴールではない」と近藤さんは強調する。
 確かに地域社会のつながりが強くなればなるほど、困ったときでも「健康で文化的な最低限度の生活」は守れる。
 だんだんのパンフレットには、1人の手では、何もできないけれど、みんなの手をつなげば、大きなパワーとなり、何かができるという「願い」が書かれていた。(共同=竹田昌弘)

© 一般社団法人共同通信社