【第26回】権力側から描くな 闘った若者の記録残す  遺志継ぐ「若松組」

「場当たり」の稽古を見つめる尾崎宗子さん(上)。「照明が付くと、暗転で隠れた役者のお尻が見える」などと指摘した=3月7日、東京都新宿区(撮影・牧野俊樹)

 本番まで8日。東京・板橋の演劇用フリースペースでは、3月1日夜も舞台版「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の稽古が続いていた。
 場面は1971年12月の山岳アジト。赤軍派と革命左派の共闘組織「連合赤軍」を一つの党派にしよう―。赤軍派のリーダー森恒夫元被告(73年獄中自殺)が提案する。
 革命左派のリーダー永田洋子元死刑囚(2011年病死)は快諾し「私たちは、きょうから『われわれ』になったのよ」と革命左派のメンバーに語り掛けるが、みんなキョトンとしている。

 

 ▽ろうそくに魂

 「メンバー一人一人の目を見ようよ。喜んでないのを見て(次のせりふの)『うれしくないの?』に続く」。演出家のシライケイタさん(42)は役者にそう言いながら、腰をかがめて一人一人の目を見回してみせた。
 昨年3月から続く映画監督、若松孝二さん(12年に76歳で死去)の「生誕80年祭」のファイナルとして、同じ題名の映画を舞台化する。プロデューサーは若松さんの三女尾崎宗子さん(44)だ。
 映画と同様、山岳アジトで森元被告らはメンバーに「総括」と呼ぶ自己批判を強制し、リンチを加えて12人を殺害。森元被告と永田元死刑囚の逮捕後、残ったメンバー5人が山中を逃走し、あさま山荘に立てこもった一連の事件を演じる。
 上演開始を明後日に控えた3月7日。会場となる新宿の劇場で役者の立ち位置や照明、音楽の入れ方などを確認する「場当たり」があった。
 リンチの場面では、1人亡くなると、ろうそく1本に火を付けていく。
 シライさんが「どうすれば、被害者の魂に寄り添えるか。舞台でしかできない演出」として考えた。役者とろうそくの位置や暗転のときの火の消し方なども確かめる。
 尾崎さんは客席がL字形のため、席によって見え方が違うと注意した。
 迎えた同9日の初日。昼の部終了後、シライさんは「密室の場面が多いので、演劇向きだが、役者20人という大人数。当初バラバラでうまくないし、大丈夫かと思ったが、勝手によくなっていった」と笑顔を見せた。
 

 ▽共通感覚、大事に

z

 12年公開の映画「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」も宮台さんは「らしくない」とみる。若松さんは共同通信記者に「左でも右でも権力と命懸けで戦った若者の記録は残しといてやらないとな」と語っていた。
 三島を演じた井浦新さん(42)は、一緒に割腹自殺する森田必勝が血判状を渡すシーンを何度も撮り直したのを覚えている。「人に命を預けるとき、そんなんじゃないだろう」と若松さんが納得しなかったからだ。
 60年代にデビューした若松さんの映画は反権力や暴力、エロスをテーマに100本を超える。仕事に専念するため、東京の事務所で寝泊まりし、千葉の自宅には月2、3回しか帰らなかった。
 尾崎さんには、それが自由で楽しそうに見え、昔の作品も面白く感じたという。「家族の中で唯一父に言いたいことが言えたのが私で、父と一緒に仕事ができるのは私しかいないと思っていた」。20代半ばから若松さんの仕事に関わり、結婚して子ども2人を育てながら続けてきた。
 若松さんは「おれが死んでも映画は残る」「映画に時効はない」が口癖だった。原発、沖縄戦、731部隊、白虎隊…。撮りたい映画のテーマを幾つも話していた。
 尾崎さんと若松さんに師事した元スタッフ、作品に出た役者たち「若松組」は来年、遺志を継ぐ作品を公開する予定だ。(共同=竹田昌弘)

「場当たり」の稽古を見つめる尾崎宗子さん(上)。「照明が付くと、暗転で隠れた役者のお尻が見える」などと指摘した=3月7日、東京都新宿区(撮影・牧野俊樹)

© 一般社団法人共同通信社