【共英製鋼 創立70周年の軌跡と展望】高島秀一郎会長、森光廣社長に聞く

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 異形棒鋼最大手の共英製鋼(本社・大阪市)が会社創立70周年を迎えた。1947(昭和22)年に大阪市内で伸鉄メーカーとしてスタート。現在は国内4拠点、海外ではベトナム2拠点・米国1拠点の「グローバル企業」に発展。連結売上高1460億円(17年3月期)の普通鋼電炉3位メーカーに成長した。明日12月1日の記念式典を前に、高島秀一郎会長と森光廣社長に70年の軌跡と100年企業に向けての思いを聞いた。(小林 利雄)

高島「何度も危機乗り越えて」

――70年を振り返っての感想を。

高島「よくここまで来られたなというのが率直な感想だ。何度も危機を乗り越えてきた。その都度支えてくれた企業や社員の皆さんに改めて感謝したい。危機は何度もあったが、私にとっての1回目は1977年(昭52)の危機。当時私は大学生だったが、78年に希望退職を実施した時期で、『従業員に申し訳ない』と父・浩一社長が頭を丸めていたことを覚えている。次は99~2000年(平成11~12年)。浩一会長が2000年3月に急逝した時。90年(平成2)にグループ5社が合併して基盤固めを図り、そこから3年間利益を上げたが、その後、年30数億円の赤字を続けた。当時、名古屋事業所の設備投資で350億円、関東スチールの買収・設備投資で200億円、山口事業所の第二圧延ミル、ベトナムのビナ・キョウエイ・スチール(VKS社)立上げなど投資が相次いだ。銀行も『借り換え』に厳しくなり、当時米国で経営していたアメリスチールを売却して乗り越えた。2000年には中山鋼業の経営再建を合同製鉄と協調して進めていた矢先に浩一会長が急逝。その時は約1千億円の債務があったが、高島成光相談役が苦労を承知で会長を引き受け、手を尽してくれ、当時の住友金属工業や、銀行・商社の支援で危機を脱した。その後、中国の『爆食』で鋼材市況が好転し、中山鋼業を軸に業界の構造改善も進み、父が死んで6年後には東証・大証の一部に上場できた」

森「好業績時の積極投資が存続の支えに」

――森社長のご感想は。

森「私も会長と同じで、よく70年やって来れたなというのが実感だ。私が入社した70年は資本金が4千万円。それが現在は185億円。一部上場も果たした。共英で働いてきた者として感無量だ。希望退職が実施されたのはナイジェリアに駐在していた27~28歳頃。『手を上げざるを得ないかな』と思ったが海外駐在者は対象外だった。94年設立のベトナム・VKS社では最初から経営を任された。資金の心配をしても親会社には頼れず、何とか自分たちでやり繰りして乗り越えた。当社は日本電炉の海外展開では先駆けだった。73年に米国でオーバン・スチール設立(79年売却)、92年にフロリダ・スチールを買収(アメリスチールに社名変更。99年売却)したが、どちらも好業績で、持ち続けていたらグローバル企業としてもっと発展していたと思う」

森「当社の歴史を見ると、好業績の時に積極投資し、それが資産となり、経営危機の際にはその資産売却で窮地をしのいできた。90~92年は3年間で500億円の利益を上げ、名古屋、関東スチール、VKS社などに投資。05~07年には750億円の利益を計上、ベトナム2社目のキョウエイ・スチール・ベトナム(KSVC社)など積極投資をしてきた。こうした拡大志向は浩一社長の思いによるもの。世間からは『無茶苦茶やなぁ』と言われたが、それがなかったら今の共英はなかった」

森「100年企業へあるべき姿明確に」

――山口共英、熊本共英はともに72年に設立した。

高島「71~72年に枚方で電炉製鋼圧延一貫工場を稼働させ、72年に安宅産業と合弁で山口共英工業(現山口事業所)、神鋼商事と合弁で熊本共英工業(現大阪製鉄西日本熊本工場)をそれぞれ設立。さらに東北共英工業を設立し、関東でも千葉に5万坪の土地を確保した。結局、不況が長引いたことで東北と関東は事業開始せず幻に終わった」

森「福島県相馬でも鋼板工場をやろうとして動いた」

――試練を超えてきた共英の原動力は?

高島「常に身の丈に合わないチャレンジングなことをやってきた。資本金4千万円の町工場が米オーバン・スチールを設立したり、森社長が入社3年目でナイジェリアに派遣されるなど、若手社員が揉まれ・鍛えられ・育てられてきた。サントリーさんの『やってみなはれ』ではないが、そこで『チャレンジングな風土』『あきらめない精神』が醸成された。投資先では最新鋭設備を持ち、買収会社でもすぐに設備新鋭化を図った。父はやり過ぎの面も多かったが、父が実践してきた『挑戦』は、当社の経営理念『スピリット・オブ・チャレンジ』として継承されている」

高島「チャレンジ精神が発展の原動力に」

――国内鉄鋼事業、海外鉄鋼事業、環境リサイクル事業を今後どう発展させていくか?

高島「今期の鉄鋼業界を見ると『鉄筋不況』だけが突出している。需要減に対して供給能力が多過ぎることが要因だが、鉄筋最大手として当社は、この不況を解消しうる強力な指導力を持つ会社にならねばならない。そのために各拠点の競争力を一段と高めたい」

――海外事業ではベトナムVIS社への資本参加も行った。

高島「VIS社出資に伴い、VIS親会社のタイ・フン社とも連携し北部での存在感を高めるのも狙いの一つ。現在の当社グループの生産量は、国内60%・海外40%で合計300万トン。早期に半々に持っていきたい。ベトナムはKSVC社が19~20年に製鋼圧延一貫化すれば80万トン能力になり、南部のVKS社と合わせて160万トン。米国のビントン・スチール20万トンを加え、180万トンになる。ビントンは小さな工場だが、ここを橋頭堡にして米国での事業拡大を目指す」

――ベトナムでは港湾事業のチー・バイ・インターナショナル・ポート(TVP社)も動き出す。

森「来年1月に竣工式の予定だ。至近のVKS社向けスクラップの輸入事業や、周辺の鉄鋼メーカーからの製品積み出し港としても機能させていきたい」

――「100年企業」に向けての意気込みを。

高島「共英製鋼は多くの方の支援や協力があって生き残ってきた。そうした方々に報いるためにも、電炉メーカーの存在意義を高められる会社を目指していきたい。スクラップという国内資源を使って鉄筋を造り、橋・道路・建物などインフラ整備に役立て、リサイクルに貢献している電炉の立場を、そこで働く社員が誇りを持って働いていけるようにするためにも、高めていかなくてはいけない。その先頭を共英が走っていく」

森「30年後に世の中がどう変化していくのかイメージをしっかり持ち、鉄需がどう変化していくのか、その時電炉はどうなっているのか、その中で我々はどうしなければならないかなど30年後の共英製鋼のあるべき姿をしっかり描いていく必要がある。共英の基本であるチャレンジ精神で30年後も立派に生きる会社にしていく」