楽天創設時の首脳陣が明かす秘話 「我々3人の一番の失敗」は…

「第13回スポーツシンポジウム」に参加したマーティ・キーナート氏、田尾安志氏、山下大輔氏(左から)【写真:高橋昌江】

初代監督・田尾氏らが振り返る創設時の秘話、「半分はファンのもの」

 野球をテーマにした「第13回スポーツシンポジウム」(仙台市、仙台大、河北新報社主催)が11月30日にせんだいメディアテークで開催された。その中で楽天初代監督の田尾安志氏らから現役時代の5打席連続敬遠の秘話や楽天創設時の苦労などが語られた。

 この日のはじめには、楽天の初代ゼネラルマネジャーで仙台大上級研究アドバイザーのマーティ・キーナート氏がコーディネーターを務め、楽天の初代監督である田尾氏、楽天のヘッドコーチや2軍監督、編成本部長などを務めた山下大輔氏が「楽天イーグルスの成功は他の都市でもあり得るか?」をテーマにトークセッションを繰り広げた。

 山下氏と田尾氏は同じ球団でプレーしたことはないが、大学日本代表入りした時からの縁。2学年下の田尾氏が「慶應ボーイでハンサムで、(頭を指して)こういう状態じゃなかったんですけど」といじりつつ、「すごくかっこいい。守備も軽快で、計算された送球がすごいなと思っていた。ゆとりのある守備をしていた。華麗さがあった」と当時の山下氏のプレーについて回顧した。その後、ともに日本代表コーチを務め、楽天の創設時には監督とヘッドコーチに。山下氏は「僕は大洋ホエールズに所属していましたから、仙台の地にはすごく縁がある。大洋時代からここで毎年、試合をしていたので、楽天ができた時のメンバーに加わった時、第二の故郷に来たような気がしました」と懐かしんだ。

 話は、1982年10月18日の田尾氏が5打席連続敬遠された大洋対中日にも及んだ。「中日が勝てば優勝。中日が負ければ巨人が優勝となる試合だった。大洋の長崎啓二さんが首位打者で僕が9毛差で追いかけていて、僕は1本、ヒットを打つと首位打者になる試合だったが、5打席連続敬遠だった」と田尾氏。試合は9-0で中日が勝ち、優勝した。

5打席連続敬遠に山下氏「大洋で出ている選手も辛かった」

「勝てたので、僕自身は良かったなと思ったのですが、5打席目に3ボールから空振りを2回した。三振をして帰ろうと思ったんです。ファンの方々が真剣に見てくださっている。ファンの方々の見所はどっちが勝つか。そして、首位打者争い。この2つの見所をファンの人たちにお見せできなかった残念なゲームだった。お詫びをしないとなと思って、三振をしようと思っていた。2回、空振りした時にコーチから振るなと言われ、見逃して5打席連続敬遠になりました」

 そう心境を明かした田尾氏。この時、ショートを守っていた山下氏は「大洋で出ている選手も辛かったですよ。勝負しろということで、スタンドから10円玉や100円玉、コインがいっぱい飛んでくるんですよ。その試合は悔しかったですね。やっている、現場にいた選手は悔しい思いをしましたね」と話した。

 2人の縁から、2004年の球団創設時の苦労話も披露された。「大リーグのチームがスタートする時は3年間の準備期間がある。我々は5か月くらいしかなかった」と初代GMだったキーナート氏。田尾氏も「あの頃はやることがいっぱいあって、頭がぐちゃぐちゃになっていましたね」と苦笑した。

 田尾氏が初代監督になった経緯も話され、同氏が「僕が監督を引き受けて、直接、コーチをお願いしたのは山下さんと駒田(徳広)です」と言うと、山下氏は「あとのコーチはみんなで話し合って決まりましたよね」と振り返った。ドラフト会議までの時間もなく、編成本部もない中で走り出した新球団。アマチュア選手の情報を集めるのも大変だったという。目玉だった地元・東北高のダルビッシュ有が腰を痛めていたことから指名を回避したが、キーナート氏は「我々3人の一番の失敗」とジョークのように話しつつ、肩を落とした。

大きな成功となった山崎武司の獲得、田尾氏「直せる自信があった」

 一方で、成功もあった。04年シーズンに4本塁打だった山崎武司氏の獲得だ。「田尾さんも山下さんもいい情報を入れてくれた」とキーナート氏。田尾氏は「崩れているところがわかっていたので、バッティングを直せる自信があった。思った以上にやってくれた」と称えた。05年からの7シーズンで191ホーマー。特に07年には43本塁打で本塁打王、108打点で打点王に輝いた。

 楽天は初年度に38勝97敗1分。首位との差が51.5ゲーム、5位とも25ゲーム差からのスタートだった。そして、9年目の13年に悲願の日本一を達成。山下氏は「星野(仙一)さんに求心力もあったが、9年間の選手の入れ替わりや成長でチームは強くなってきたと思う。そして、ファンの皆さんがイーグルスを支援し、応援してくれた」と感謝した。

 田尾氏が「マーティに監督をやってくれと言われて引き受けた時、ファンからの野次が一番、辛いと思った。でも、仙台で野次られたことがなかった。これはすごかったですよ」と言うと、「私がしょんぼりして事務所から出て行くと『大丈夫だよ』『明日は勝てるよ』と言ってくれた」とキーナート氏。続けて田尾氏が「そう、そう。『4月よりはみんな、上手くなっていますよ』とかね。負けているのに、褒めてもらえるんですよ。有り難かった。この人たちにいいゲームをお見せしたいなと、そういうエネルギーになりました」と、ファンの励ましに頭を下げた。

 東北のファンに支えられ、育てられてきた楽天。7年連続で年間の観客動員数を更新している。山下氏は「今の時代、成功していると言われるチームは業種的に固まっているが楽天、横浜、ソフトバンクですね。(Koboパーク宮城は)球場のシートを色々と作って、ベースボールをエンターテイメントにした。そこに野球好きのファンが集まってきた。チームも選手も力をもらう。横浜もソフトバンクもそういう努力をして、ファンが足を運んで喜んでくれる球場作りとファンサービスをしている。その元となったのが、楽天じゃないでしょうか」と話し、田尾氏は「会社の中で忘れてほしくないのは、東北楽天ゴールデンイーグルスという球団は、半分はファンのものですよ、ということ。ファンの人たちが何を楽しみにし、望んでいるか。考えて取り入れていい方向に持っていけば、もっといい球団になるのでは」と期待した。

(石川加奈子 / Kanako Ishikawa)

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