「選手会長」「第3捕手」「背番号4」 楽天28歳外野手に課された使命

楽天・岡島豪郎【写真:(C)PLM】

楽天選手会長に就任した岡島、さらなる躍進の契機となるか

 きりりとした特徴的な眉毛と大きな口。一見強面で声も大きいが、お化けが怖くて1人でお風呂に入れなかったり、抱き枕に名前を付けて愛用していたり、「超」が付くほどの甘党であることは、楽天ファンにとっては周知の事実だろう。

 今オフ、楽天の岡島豪郎外野手が、8代目の選手会長に就任することが決まった。「若い選手が多いチーム。中心となって引っ張ってほしい」と、前任の銀次選手から指名を受けた形だ。

 岡島は、群馬県出身の28歳。関東学園大学附属高校時代に甲子園出場経験はないが、関甲新学生リーグに所属する白鴎大学進学後、めきめきと頭角を現す。1年時からリーグ戦に出場すると、捕手あるいは外野手として2年春から4季連続となるベストナインを受賞し、2011年のドラフト4位で楽天に入団。1年目から同期の釜田投手とバッテリーを組み、シーズン2本のサヨナラ打、同じく同期の島内選手とアベック弾を放つなど、攻守で新人らしからぬ活躍。早速、正捕手・嶋の立場を脅かしかねない存在感を見せ付けた。

 しかし、チームがリーグ優勝・日本一を経験することになる2013年。シーズンの折り返し地点における岡島の立ち位置は複雑だった。開幕前の怪我もあって嶋との正捕手争いに敗れ、2番手捕手、代走、代打としての試合出場が主。ただ、持ち前の打力・走力は相変わらず捕手としては突出していた。そしてそのことは、首脳陣の頭にもあったのだろう。決起集会の場で米村外野守備走塁コーチに促され、「僕を外野で使ってください」と当時の星野監督に直談判したことで、「外野手・岡島豪郎」の野球人生がスタートすることになる。

「たられば」の話だが、岡島は捕手としても将来を嘱望されるだけの才能は持っていた。それでも慣れ親しんだマスクを置いて両翼を守り、規定打席未到達ながら打率.323、出塁率.405を誇るリードオフマンに定着。結果的に、球団創設初の栄光に大きく貢献した。

秋季キャンプでは約2年ぶりに捕手としてブルペン入り

 それから4年が経過した今季。楽天はシーズン中盤まで、4年前を彷彿とさせる強さで首位を走っていた。岡島も長きにわたって打率3割台を維持し、チームの快進撃を支える。しかし、7月23日のオリックス戦、右翼守備の際にファウルゾーンに滑り込み、左肩を亜脱臼。戦線離脱を余儀なくされた。約1か月後に復帰したが、チームは大型連敗を経験して優勝争いから脱落。岡島自身は、111試合342打数89安打3本塁打32打点、打率.260という成績で6年目のシーズンを終えた。

 12月7日、契約更改に臨んだ岡島は、その後の記者会見で「せっかく立場をもらったので、球団とも話して、選手とも話して、よりよい方向へいくように進めていきたい」と、新・選手会長としての決意表明。もともとベンチでの声出しや明るい振る舞いで、チームを鼓舞してきたムードメーカーだ。

 怪我でチームを離れていた時期は、指揮官やエースから「早く戻ってきてほしい」、「ベンチにいるだけで違う」と復帰を熱望されていた。肩書きが与えられたことで、今後はさらなるリーダーシップを発揮してくれるだろう。

 また、秋季キャンプでは約2年ぶりに捕手としてブルペンに入り、投手のボールを受けた。来季はベンチ入り捕手が2人になる可能性があり、有事の際のバックアップとして白羽の矢が立った形だ。7年目の来季は、最早がむしゃらな若手としてではなく、「新・選手会長」としても「第3捕手」としても、グラウンド内外でチームをけん引することが求められる。

 奇しくも岡島の背番号「4」を、楽天の創設時に背負った高須洋介氏が、来季から1軍打撃コーチに就任する。現役時代の同氏は2代目の選手会長を務め、勝負強い打撃で「必殺仕事人」と呼ばれた。ただ現状に甘んじてチャンスを待つばかりではなく、自ら声を上げて「外野手・岡島豪郎」の道を切り開いた4年前のように。「選手会長・岡島豪郎」の誕生が岡島自身にとってもチームにとっても、さらなる躍進の契機となることを期待する。

(「パ・リーグ インサイト」編集部)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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