伊東前監督との「ありすぎて語れない」思い出を胸に―ロッテ田村が誓う飛躍

ロッテ・田村龍弘【写真提供:千葉ロッテマリーンズ】

里崎氏が背負った「22」を継承、来季は巻き返し誓うロッテの正捕手

 長年、絶対的正捕手を務めた里崎智也氏が勇退して2年。昨季、ようやくその後継者となる存在が台頭してきた。田村龍弘捕手。チームにとってもはや欠かすことのできない扇の要として、時にはいじられキャラとして、23歳の若さで千葉ロッテの正捕手を張っている。

 田村は大阪出身だが、青森県の光星学院高校に進学。高校野球界を代表するスラッガーとして、親友の北條(阪神)とともにチームの3期連続の甲子園準優勝に貢献した。3年秋に行われた第25回AAA世界野球選手権大会では日本代表に選ばれ、1学年後輩の森(埼玉西武)と出場機会を分け合いながら、大谷(日本ハム→エンゼルス)や藤浪(阪神)など、そうそうたる顔ぶれが揃う代表メンバーの中で存在感を示した。2012年、千葉ロッテにドラフト3位指名を受けてプロ入りを果たす。

 高卒1年目から1軍で7試合に出場し、プロ初安打初打点をマーク。2015年には開幕から正捕手を務めて117試合に出場、プロ初アーチも記録した。打率は1割台と苦しんだが、盗塁阻止率は12球団トップの.429を叩き出している。そして翌年の6月、月間打率.400で月間MVPに輝く。捕手が同賞を受賞するのは、パ・リーグでは城島健司氏以来12年ぶり、千葉ロッテでは青柳進氏以来24年ぶりとなる快挙だった。

 さらにこの年、石川とのコンビで最優秀バッテリー、ベストナインに選ばれ、オフには里崎氏の背番号「22」を継承することに。まだ高卒4年目ながら、チームから大きな期待を寄せられていることが窺えたが、田村自身はそれについて「背番号は軽く(45から22)なりましたが、逆に責任は重くなりました。ただ見栄えよりも実際のプレーで評価されたい」と、正捕手らしく地に足のついたコメントをしていた。

東京五輪での日本代表入りも期待される田村

 そんな中で迎えた5年目の今季は、自己最多の132試合に出場。311打数77安打3本塁打36打点、打率.248という成績を残したが、チーム全体が悪い流れに呑まれてリーグ最下位に沈み、個人成績から想像する以上に苦しいシーズンだったことは間違いない。ただ、今季強肩でブレイクした福岡ソフトバンクの甲斐や埼玉西武の炭谷を凌ぎ、パ・リーグトップの盗塁阻止率.337をマーク。噛み合わないチームの中、正捕手として大きな責任を背負い込みながら奮闘していただろうことが窺える。

 また、今年の11月に開かれた「アジアプロ野球チャンピオンシップ2017」では日本代表に選出され、初戦の延長10回裏、左中間を破る劇的なサヨナラ打を放った。これは2020年の東京五輪を見据えた若手中心の国際大会であるため、3年後、田村が「打てる捕手」として日の丸を背負う姿を現実的に想像した人も、きっと少なくはなかったことだろう。

 ただ今は、3年後よりもまずは来季のシーズンだ。井口新監督のもと、チームが乗り越えるべき課題は山積みである。今季、千葉ロッテのチーム防御率は4.22で、チーム打率は.233。ともに12球団ワーストの数字だった。投手陣、打撃陣の立て直しが急務であることは言うまでもない。そして、例年通り正捕手を務めることが濃厚な田村は、1人で投打の調子を上向かせられる立場におり、女房役としても打者としても、さらなる成長が求められる。しかしそれはもちろん、容易なことではないだろう。

 20代前半で絶対的な正捕手の座に就く選手は珍しく、近年は特に規定打席に到達する捕手の少なさが嘆かれている。だがそれも、捕手にかかる負担があまりにも大きいからだろう。チームの巻き返しを託される来季、野球選手としては小柄で、まだ若い田村が扇の要として引き受けなければならない責任は、おそらくさらに重たくその身にのしかかる。それでも、恩師・伊東前監督との間にある「いっぱいありすぎて語れない」ほどの思い出を胸に。いずれはパ・リーグのみならず日本球界を代表する捕手となり、千葉ロッテの「22」の価値をさらに高めていってほしいものだ。

(Full-Count編集部)

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