⑥平戸市生月町博物館・島の館学芸員 中園成生さん 長崎県に専門的人材不足

 国際記念物遺跡会議(イコモス)が昨秋、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を現地調査したとき、県は一体何を説明したのだろうか。大きな疑問を抱いている。

 つまずきの根本は県の学芸部門の弱さに行き着く。教会群の根幹になるストーリーを提示するには、従来の研究成果を相対的に見て、一つのイメージを紡ぎ出す必要がある。それは宗教史や精神史に精通した専門的人材がいないと難しい。

 本来ならば長崎歴史文化博物館も、その役割を担うべきだろう。だが、研究部門まで民営化し学芸員の雇用形態が不安定なため、育った人材が県外に流出している。県に人材が足りないから、県が調査研究を統括して、学問的なベースをつくることが十分ではない。

 禁教期を中心に説明することは、禁教の前後を切り落とせばいいということではない。なぜ禁教になり、キリシタンが何をどんな形で守ろうとしたのかという根本の問題は、禁教以前の時代を押さえないと理解できない。

 禁教の原因としてキリシタンの他宗排斥が非常に重要だ。日本で、キリスト教以前の外来宗教は基本的に他宗教と併存した。だが、キリスト教は唯一神教であり、他宗教との併存を選択しなかった。寺を焼いたり、僧を迫害したりしたのは秩序維持の面から非常に問題だった。

 禁教になると、キリシタンは信仰を守るために、あえて仏教や神道にも帰依して他宗教と併存する道を選んだ。当時のキリスト教としてはあり得ないことだ。ここが世界にない独自性になると見ている。島原地域のように併存しない選択をしたグループもあったが、「島原・天草の乱」で全滅してしまった。

 16世紀のイエズス会はキリスト教が日本に適応するように、従来からあった年中行事や農耕儀礼もキリスト教式で行った。かくれキリシタンとは、他宗教と併存しつつ、日本に定着した当時のキリスト教を「凍結保存」して守った人々だ。そこに大きな意味を見いだせる。キリシタン信仰の魅力と価値、意味を世界にしっかり説明してほしい。(2016年06月21日掲載)

【略歴】なかぞの・しげお 1963年福岡市生まれ。熊本大文学部卒。佐賀県呼子町教委勤務を経て93年から現職。平戸市文化交流課参事。著書「くじら取りの系譜」「かくれキリシタンとは何か」、共著「鯨取り絵物語」など。

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