⑧長崎大多文化社会学部准教授 才津祐美子さん 制度的な問題大きい

 「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」がつまずいた原因は、複数の資産で構成する「シリアル・ノミネーション(連続性のある遺産)」をはじめ、文化的景観のとらえ方や地域共同体の重視など、近年の世界遺産の制度的な流れにうまく適合できなかった問題が大きいと考えている。

 教会群の物語は、禁教期に外海のキリシタンが五島などに移住し、明治期以降に教会を建てたという流れが重要。外海が起点なら分かりやすいが、資産構成は南島原で始まり、禁教期を平戸、天草、小値賀で説明し、外海を最後の復活期の役割にしていた。肝心の物語をシリアル・ノミネーションで描けていなかった。

 国際記念物遺跡会議(イコモス)は禁教期の物証を出すように求めている。世界遺産は法的な保護が制度上の要件で、新たに洗い出した禁教期の墓碑や遺跡を国レベルの文化財に指定しなければならない。ただ、重要文化財(重文)や重要文化的景観(重文景)にするには価値やコンセプトが厳しく問われる。新たな指定は簡単ではない。

 外海の潜伏キリシタンが信仰した枯松(かれまつ)神社は重要な資産になり得ると考えていた。だが、重文や重文景の網に掛けられなかった。建物自体は新しいので重文のレベルではない。重文景はなりわいと一体になったコンセプトが必要。外海地区は「石積み景観」のコンセプトで重文景に選定されているが、枯松神社は「石積み景観」に該当しないため、重要構成要素に入れられなかった。

 そもそも禁教期の物証自体が少なく、不安が残る。生月や外海の博物館が所蔵する「マリア観音」や「納戸神」など潜伏キリシタンゆかりの宗教具を、重文や重要民俗文化財に一括指定し、物証を補う工夫を考えてもいい。

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)は2012年に「京都ビジョン」を採択し、世界遺産の保存管理に地域共同体が十分に参加することを非常に重視するようになった。教会群のいくつかの資産は周辺で急激に過疎化が進み共同体の存在自体が危うい。ユネスコが求める世界遺産を生かした持続可能な発展が可能かどうかも厳しく見られるだろう。(2016年06月22日掲載)

【略歴】さいつ・ゆみこ 1969年五島市生まれ。大阪大大学院博士後期課程単位取得後退学。国際日本文化研究センター勤務、福岡工大准教授などを経て2014年から現職。長崎市文化財審議会委員。共著「世界遺産時代の民俗学」など。

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