箱根駅伝、神大復権に熱視線 2連覇のOB中里さん 

 来年1月2、3日に行われる新春恒例の東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)に、熱視線を送る元ランナーがいる。1998年に2連覇した神奈川大のメンバーで、栄光のゴールテープを切った平塚市役所総務部の中里竜也さん(42)だ。今秋の全日本大学駅伝を20年ぶりに制した母校は優勝候補の一角。「仲間と支え合う駅伝の良さを感じてもらえたら」と後輩の頑張りを楽しみにしている。

 「プラウドブルー」と呼ばれる紫紺のたすきを肩に掛け、復路ゴールの東京・大手町を先頭で駆け抜けてからもう20年が過ぎた。

 ただ記憶は色あせない。「今でも時々走っている時の夢を見ますよ」。続けて「あの時以上の苦しさはない。どんな苦境でも、あの時のことを思い出せば乗り越えられる」。そう言い切れる経験は大きな財産となっている。

 岡山県の出身。2歳上の兄や、同級生の盟友、ライバル校の背中を常に追ってきた。

 「運命というか、宿命というか、いつも2番でした」。強豪で知られる地元の興譲館高へ進むも全国駅伝には出場できず、高校3年間で県大会の成績は区間順位、チームの総合順位ともいつも2位。悔しさも足を前に運ばせる原動力だったという。

 卒業後は、選手が自主的に練習に取り組み、指導者が的確に支援する姿勢に憧れて神奈川大へ。「強い選手が集まってくる中で、自分が記録を出しても周りはさらに更新してきた」。焦りやオーバーワークがたたって結果が出ず、最終学年まで箱根駅伝ではサポート役に回っていた。

 それでも「走れないまま大学4年間を終える選手も多い中、当時腐る選手は一人もいなかった。一生懸命、一緒に練習してきた仲間が結果を出すのがうれしく、チームに一体感があった」と振り返る。周囲に献身的な姿が評価されたのか、大学最後の箱根駅伝直前の大みそか、最終区の10区での出場を言い渡された。「登録メンバー15人全員が選考から漏れたくないと必死に練習した。それを乗り越えてスタートラインに立てた」 だからこそ、レース本番は全く緊張しなかった。大手町のフィニッシュへ続く沿道のギャラリーから、左耳が耳鳴りするほどの大歓声を浴びた。

 ゴールテープを切り、喜びとともに「最後の箱根まで出場できなかった自分が走れたことで、後輩たちへの希望になれた」と実感したという。大学最後のレースも区間2位だったが、チームは1番だった。

 陸上部のある平塚市役所へ就職し、職場では中堅どころになった。「みんなが意識を高く持ち、同じ目標を掲げて頑張れる、当時のようなチームづくりをしたい」との理想を目指し、同僚らと仕事に励む。

 今は競技者の第一線から退いたが、市内のランニングクラブの指導に携わる。自身のように箱根駅伝を目指す若きランナーも出てきたという。

 「苦しさを乗り越えた先にあるもの、仲間とともに支え合える駅伝の良さ、頑張ることの大切さを感じてもらえたら」。当日は沿道から後輩たちを鼓舞するつもりだ。

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