2018年(平成30年) 今年の干支は戊戌(つちのえいぬ) 12年前を振り返る 海老名市

 2018年(平成30年)が幕を開けた。戊戌(つちのえいぬ)の今年はどんな年になるのだろうか。新たな年に思いを馳せながら、前回の戌年にはどのような出来事があったのか、振り返ってみる。

 12年前となる2006年は、第1回ワールド・ベースボール・クラシックが開幕し日本が優勝。トリノ冬季五輪では荒川静香選手がフィギュアスケートで金メダルに輝き、代名詞となった「イナバウアー」が流行語大賞になったほか、夏の甲子園で活躍を見せた早稲田実業の斎藤佑樹投手が「ハンカチ王子」と呼ばれ話題を集めた。さらに当時10代だった亀田興毅選手がプロボクシングWBA世界王者になるなど、スポーツに沸いた年だった。

 その他、表参道ヒルズがオープン、花畑牧場の生キャラメルが大ヒット、キューピーのCMに登場する「たらこキューピー」なども注目を集めた。世相を表す漢字には、皇室に約40年ぶりの親王・悠仁さまが誕生したことなどから「命」が選ばれた。

「芽吹き」と「変化」の年 12年前の海老名を回顧

 本紙では12年前の紙面から海老名の出来事を振り返ってみる。

「いきものがかり」メジャーデビュー

 まずは、昨年”放牧宣言”を発表し現在活動休止中の、海老名ゆかりの人気バンド「いきものがかり」の話題から。今や全国的に名の知られるようになった彼らが、代表曲「SAKURA」でメジャーデビューを果たしたのが、12年前の3月。本紙ではその前年から、市内杉久保小・大谷中出身の山下穂尊さん(当時22歳)、同じく水野良樹さん(同22歳)、海老名高出身の吉岡聖恵さん(同21歳)の3人組バンドを「地元を中心とした地道なライブ活動で着実に人気・知名度を高め注目を集めている」として大きく取り上げた。

海老名駅自由通路完成に向け第一歩

 海老名駅を東西につなぐ「自由通路」。12月1日号の紙面では、これまで段階的に進められてきた整備工事完了の最初の一歩として、相鉄海老名駅のエスカレーター設置が完成間近であることを報じた。こうしたバリアフリー化に加え、その後は市内初となる動く歩道なども設けられ、昨年11月には小田急電鉄(株)が自由通路に接続する商業施設「TERRACE」を開業。飲食店なども多数入っていることから、今後さらなる賑わいが期待される。

ダイエー海老名店業態転換し再スタート

 10月にはダイエー海老名店が業態転換し、「ショッパーズプラザ海老名」として全面リニューアルオープンするという全国初の試みが実施された。ダイエー直営の食品スーパーのほか、新規テナント18店舗を呼び込み45の専門店を設けることで、店舗全体の魅力アップが図られた。

温故館保存求め署名運動

 市のシンボル的建物のひとつで、大正期建設の旧村役場庁舎を改修した郷土資料館「温故館」。耐震強度が不足しているとの診断を受けこの年の9月に休館し、存続が危ぶまれていた。その状況を危惧した市文化財保存委員らが「温故館の建物自体にも価値がある」として保存運動を展開。市民や他地域の郷土史家などから署名を集めて市長に提出するという動きが起こった。その後組織された調査検討委員会の提言で移築保存が決定し、現在もなお資料館機能を備えた形での運営が続いている。

医療・福祉の拡充

 2006年は医療・福祉面の充実が図られた年でもあった。

 子育て支援としては、10月に「ファミリー・サポート・センター」が開設。育児の援助を受けたい人(利用会員)と援助を行いたい人(援助会員)がそれぞれ会員になることで、利用会員が仕事や病気などの緊急時に、援助会員が代わりに保育施設への送迎などを行うシステムが確立された。

 一方、高齢者が年々増加しているという世情を鑑み、働く意欲のある高齢者に対して就労支援を拡充しようと「高齢者生きがい会館」の建設が決定。翌年4月の開館以降は、施設内に移転した「海老名市シルバー人材センター」が職業紹介などを請け負ってきた。

 その他、昨年国際口腔インプラント学会(ICOI)の次期世界会長にアジア人として初選出された、「(医)ライオン会ライオンインプラントセンター」の鈴木仙一理事長が市内に歯科医院を開院したのもこの年。10月20日号の紙面では「大学病院以外では日本でも珍しい入院施設を兼ね備えた医院であり、地域医療の牽引役を目指すことになる」と大きく掲載した。

 また介護では、「NPO法人エンゼルあきちゃん」(鹿島正和理事長)が、県から指定居宅サービス事業者の許可を得て8月に国分寺台の地で開所。ボランティアを含め地域一丸となって介護者を支援し続け、今では大谷北と望地でも事業所を展開している。

中農高が創立100周年

 県立中央農業高校がこの年の10月に100周年を迎えたとして、10月13日号で取り上げた。1906年(明治39年)に愛甲郡で開校し、52年(昭和27年)に現在の地に移転した同校の歩みや、記念誌「中央農百年史」が発行されたことなどを紹介した。

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