日本の4番が誕生した「伝説の2週間」 筒香が批判を覚悟し名コーチと歩んだ軌跡

DeNA・筒香嘉智【写真:荒川祐史】

伸び悩んだ4年目に巡り逢った大村コーチとの出会い

 今や横浜、いや日本を代表する好打者となったDeNA筒香嘉智だが、ここまでの道のりは決して平坦だったわけではない。今年でプロ9年目。名門・横浜高校から2009年ドラフト1位の鳴り物入りで入団したものの、1軍に定着したのは、つい4年前、2014年からだった。

 高校通算69発の肩書きに、周囲が大きな期待を寄せるのも無理はない。だが、まだ選手としても人間としても成長過程にある20歳そこそこの若者だ。1軍では思うような結果が出ず、次第に大きくなる批判と失望の声に、心は少しずつささくれ立っていた。

 3年目を迎えた2012年は、1軍で主に三塁手として出場し、初めて規定打席に達したが打率は.218。このまま期待外れの高校スターとして消えていくのか、踏みとどまって花を咲かせるのか。そんな瀬戸際に立って迎えた2013年、筒香を変える1つの出会いがあった。同年から2軍打撃コーチに就任した大村巌コーチ(現ロッテ2軍打撃コーチ)との出会いだ。筒香は今でも「大村さんとの出会いが僕を変えた。あの出会いは大きかったです」と迷いなく言い切る。

 出会うなり、手取り足取り打撃を指導したわけではない。大村コーチは当時の様子をこう振り返る。

「最初会った時は「よろしくね」くらいで全然話もしなかった。言葉は悪いようだけど、不遇な犬のように怯えた目で『またお前も俺に何か言うんだろう』って見てきてたから、これは心理状態が大変だな、と。

 ファームに来てからですよ。他の選手が少しずつ変わっていくのを見て、警戒心が強いから僕に直接ではなく、その選手に『何を教わったの?』って聞いていたらしい(笑)。そこから信頼関係を築いた感じかな」

 それでも、その年のシーズン中は一切指導はしなかったという。理由は、筒香の指導を任された1軍コーチがいるから。筒香自身から「どうなってますか?」とアドバイスを求められても「知らん。担当コーチに聞きなさい。来るべき時が来たら、俺の意見を言わせてもらう」と返すのみ。同時に、筒香が置かれた状況を客観的に分析し、「来るべき時に掛ける言葉を1年掛けて準備した」という。

 来るべき時は、その年の11月にやってきた。奄美大島で行われた1軍秋季キャンプメンバーから外された筒香は、横須賀にある2軍施設で大村コーチのマンツーマン指導を受ける“伝説の2週間”を過ごした。この時の様子を、筒香は「大村さんから『本当は何か月も掛かる取り組みを、時間がないから2週間に詰め込む。キツイけどやるか?』って言われたので『お願いします』と言いました」と振り返る。

「周囲の目を気にしないでいく。そう決めた瞬間からブレイクは約束されている」

 まず、大村コーチが取りかかったのは「聞く」ことだった。

「筒香がどうしたいのか。どうなりたいのか。今までの人生で何をしてきたのか。どういう人に影響を与えられてきたのか。その時どう感じたのか。プロに入って4年間はどうだったのか…。そういったことを懇切丁寧に聞きましたね。

 詳細は2人だけの秘密だから話せないけど(笑)、僕から言えるのは、彼は迷っていた、ということ。10年に1人の逸材だって言われて、いろいろな人が声を掛けてくれる。有難いことだけど、弱冠20歳そこそこの若者は混乱していた。周りから言われたことを、そうしなきゃいけないんだって思っていたから。そうじゃない。自分の求めるものに向かって突き進めばいい。いろんな人がいろんなことを言うけど、自分の求めるものは何か。自分の野球人生だからね、っていう話をしましたね」

 同時に、評価が下がってきた「今」こそがチャンスだとハッパも掛けた。

「期待されてプロに入っても、消えていく選手はいっぱいいる。お前は今、その入り口に立っているよって言いました。でも、だからこそチャンスだ、とも言いました。本当に自分のスタイルを貫いて、周囲の目を気にしないでいく。そう決めた瞬間からブレイクは約束されているってね」

 筒香が目指すもの、それは「高確率で、広角に打てる」打撃だった。だが、周囲から掛かる“和製大砲”の期待は大きく、届くアドバイスは軒並み、ライト方向へホームランを打つためのものだった。「僕は違うと思うんです」。筒香はそう言ったという。

「打点を稼ぎたい、とも言ってましたね。点を入れてチームの勝利に貢献したいって。点を取るには、ホームランでもヒットでも犠牲フライでもフォアボールでもいい。状況に応じたバッティングを身につける。それができる素材だと思う、と伝えたら、『まさに、それがやりたかったことです』と。

 だったら、全打席で貢献することを目指そうって言いました。1打席も無駄な打席はない。結果はゴロでもファウルで粘り続ければ、それも貢献。100打席立ってホームランを30発打つより、100打席すべてでチームのために貢献する方が難しいですから。

 打つ方向は、状況や対戦投手によって変わるもの。ホームランはライトにだけ打つものじゃない。スタンドはレフトからライトまであるんだから、どこに打ったっていい。技術的なことを言うと、レフトに力強い打球を飛ばせるスイング軌道があると、ライトにも打球は飛ばせるんですよ。可能性がすごく広がる。そんな話をしましたね」

「元々持っている才能や技術を、どうやって解放するか」

 ようやく自分の目指す方向性を認めてくれる人に出会った筒香は、「僕、1回死んだと思ってやります。批判されても頑張ります」と目の色を変えた。こうして「逆方向へのホームラン」をテーマに掲げた“伝説の2週間”がスタートした。

 午前中の練習が終わると、午後2時から6時頃まで個別練習。「そんなに徹底的にやってなないけどね」と大村コーチは笑うが、朝から晩までマンツーマンで、明確になった目標に突き進む時間は濃厚だった。

「いろんなことをやりましたよ。ある日はインハイの直球だけ打って、次の日はアウトローの変化球だけ。逆方向へのホームランという基本線があって、毎日違ったサブタイトルがつく感じ。ホームランを打った後の歩き方まで練習しました。レフトスタンドにホームランを打った後のリアクションから、一塁までどうに行くかまで(笑)。

 細かいところまでビジュアライゼーション=映像化する作業が大事。練習で1回成功すると、本番でも再現しやすい。細かい設定もしましたよ。実況風に声に出しながら『開幕戦です。場所は東京ドーム。ピッチャーは菅野だ。さぁ、新スタイルの筒香です。ニュー筒香だ。レフトへ打った~!』なんてね。

 何よりも大きかったのは、彼がやろうと思ったこと。やっぱり『何だ、そのバッティングは』って批判は受けたけど、自分の思い描く通りの練習を続けたことですよ。僕はそれをサポートしただけ。やると決めたことを貫いた、彼の気持ちがすごく立派だと思う。そのうち結果が出始めたから、もう誰も何も言わなくなった。出る杭は打たれるけど、出過ぎてしまえば打たれなりますから(笑)。アイツはよく頑張った」

 2014年以降の筒香の活躍は、ご覧の通りだ。筒香に限らず、現在所属するロッテでも「ティーチング(教える)」ではなく「コーチング(導く)」を意識しているという。

「一方的に選手に知識を押しつけて選手がうまくなるかっていったら、それは違う。才能ある選手は自由にやらせた方が開花する。元々持っている才能や技術を、どうやって外に出すか、解放するかのプロセスをサポートするだけです。自分がこの世界で何がしたいのか。どうなりたいのか。それを実現させるために、何が障害になっているのか。そのリサーチを手伝うだけ。

 枠に入れようとしても無駄です。人はそれぞれ型を持っているから。子供に自由に絵を描かせたら上手いこと書くでしょ。いいんですよ、それで」

 才能を解き放たれた筒香は、日本を代表する打者と呼ばれるにまでなった。だが、そこに甘んじることなく、人として選手として成長し続けるため、日々の努力を忘れない。「あとはそのまま自分でやれば大丈夫」。世に送り出した“愛弟子”の活躍を頼もしく見守りつつ、大村コーチは今年も新たな才能の解放をサポートする。

(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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