2018年 年男(5)

「気持ちは48歳」/内藤伸彦氏(中山製鋼所取締役営業本部長)/ないとうのぶひこ

 「気持ちは48歳。体力には自信があるつもりだが、もう少し鍛え直す時期かな」と笑う。永く続けられる趣味を持つこと、奥さんと約束の海外旅行実現も還暦の課題。

 「自分が今在るのも、家族や上司・同僚・部下、取引先の支えのおかげ。『感謝』の気持ちを忘れず、会社発展に尽くしていきたい」

 会社は1年半前に再建が完了、攻めの経営を強化している。営業本部長として、きめ細かい営業の『中山らしさ』追求の陣頭に立つ。

 4月から中期経営計画最終年度。「顧客目線の営業強化、グループ協働でのグループ収益最大化を柱に次期中期につなげていく」と気合いが入る。2019年には「会社創立100周年」を迎える。(昭和33年7月7日生)

流通としての〝機能〟をより強化へ/河崎東美彦氏(協和社長)/かわさきとみひこ

 鉄鋼業界が低迷していた1996年に内装工事業から転身して協和に入社。その後もカラー鋼板は下落し続け、「一時は業界とともに衰退してしまうのでは」と危機感を覚えた。また社長就任時も2009年のリーマン・ショック直後と厳しい環境下での船出だったが、「常に新しいアイデア、新商品開発に取り組み続ける」との信念を貫き、ヒット商品である横葺屋根材『Zワイドルーフ』や外壁防火材『アンブレイズ』などのオリジナル商品の開発を進めてきた。

 「建材業界で当社の業態である外装建材加工卸売業の本来の〝商社機能〟をより積極的に強めていきたい。また以前から進めている社員満足度も引き続き推進していきたい。今年は結果にこだわる勝負の年にしたい」と意気込む。(昭和45年3月23日生)

会社の世代交代を着々と/飯嶋敏彦氏(飯島鋼管社長)/いいじまとしひこ

 大学卒業後、4年間伊藤忠金属販売(現伊藤忠丸紅住商テクノスチール)に勤務。〝鉄商売の修行〟を終えて1985年に飯島鋼管に入ると、いきなり当時同社の商売として過渡期にあった機械加工分野を担当することに。「加工分野では入社当時から社長みたいなものだった」と振り返る。

 「職人世界」にカルチャーショックを受けながらも一からの勉強で現場や外注先から一つずつ教わり、毎年設備投資をしながら徐々に業容を拡大。他社の追随を許さない「1千分の1ミリ」精度の加工に対応する素地を築いてきた。

 「還暦の実感はないけど、世代交代を着実に進めて一段階上の体制づくり」を目指す。昨年つくった同社保養施設を兼ねたオーディオルームで「一人の時間も大切にしたい」と話す。(昭和33年12月11日生)

新しいことにチャレンジ/大橋秀典氏(サクラテック社長)/おおはしひでのり

 還暦を迎え「仕方ないが、正直迎えたくなかった」と率直な感想。「ここまで支えていただいた方に感謝したい」とも。印象に残った経験は、2007年4月に大阪工場を閉鎖し、岐阜工場に集約したこと。「大阪工場があった枚岡は自分が生まれ育った場所でもある」とし、「気持ち的にしんどかった。しかし、あの経験があったからこそ、今の当社がある」と語る。

 趣味はスキー。「高校からスキーが好き。毎年、北海道の留寿都まで滑りに行く」という。自身の性格は「〝為せば成る〟をモットーに何事にもチャレンジする」という。

 社業については「極厚亜鉛めっき鉄線の品質向上に努めながら、新しいことにも積極的に取り組みたい」と話す。(昭和33年3月18日生)

アブダビ駐在が商社人生の原点/須和俊敦氏(伊藤忠丸紅鉄鋼常務)/すわとしあつ

 「まずは心身ともに健康でいることが大事。仕事では自分の経験を若い社員に伝えるなどして、お世話になった会社に少しでも恩返しできれば」と今年の目標を語る。

 丸紅に入社後、前半は油井管、1999年以降からは自動車鋼板の営業に従事。海外駐在はアブダビ、デュッセルドルフ、メキシコシティー、デトロイトで通算16年以上に及ぶ。「入社3年半で最初に駐在したアブダビでは、油井管の特ネジ拡販に注力。この経験が自分の自信になり、商社人生の原点だった」と振り返る。

 週末に時間があれば、自宅近くの河川敷を早歩きで1時間くらい散歩。「昔興じていたテニスやスキーも、無理のない範囲内で再開しようかな」と意気込む。(昭和33年2月19日生)

「視野を広げさらに飛躍を」/湯村英治氏(日鉄住金テックスエンジ執行役員)/ゆむらひではる

 「視野を広げれば、まだまだ変わり、総合力が生かせるはず」と広畑支店の1千人を預かるリーダーとして新年の抱負を語る。

 前身の太平工業に1983年に入社し建築畑を歩いてきた。大阪府立夕陽丘高校の音楽ホールや中間免震のマンションなど印象深い建物の施工管理を担ってきた。マンション完成時には入居者一人一人がお客様となり「喜んでいただけることもあったが、いろいろと大変なこともあった。この時の経験が今の私の人格を作った」と振り返る。

 現在は、広畑製鉄所内の機械や電計、操業などの管理の仕事が加わり「支店長となって2年目だが、まだ目新しい事ばかり」とフレッシュな気持ちで仕事に臨む。(昭和33年5月19日生)

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