諫早舞台のドラマ「親戚たち」 30年余り経て映画化

 長崎県諫早市出身の脚本家、故市川森一さんが同市を舞台に執筆したドラマ「親戚たち」(1985年)の映画化が昨年末発表され、地元諫早で注目を集めている。豊かな自然を背景に描かれた人情味あふれる人間ドラマが、30年余りの時を経て、どのようによみがえるのか。同市出身の俳優、役所広司さんが軽妙に演じた「ふうけもん(呆気者)」の“再来”と、市民総参加型の映画製作を呼び掛ける声が上がっている。

 本明川下流にある不知火橋(長田町-小野島町)をバックに、役所さんが船で上流へ向かう第1話の一場面。「こんな風景があったのか、と一番感動した」。市川さんのいとこにあたる森長之さん(81)=八坂町=は当時を思い起こす。川の両側に背の高い葦(あし)原が広がり、渡り鳥が羽を休める風景は、同市ゆかりの芥川賞作家、野呂邦暢の小説「鳥たちの河口」の世界にも重なる。「諫早に住んでいながら知らなかった風景を再発見できた」

◎のんのこ皿踊り

 85年7~9月に放送されたドラマ(全13話)は同年4月から夏にかけて、同市内で撮影。のんのこ皿踊りや川まつりをはじめ、石造りの庭園が美しい慶巌寺や橘湾を一望できる喫茶店など市民に親しみのある場所が登場した。  物語に合った撮影場所探しやエキストラを担当したのが、地元で活躍する「劇団きんしゃい」(小川供孝座長)。タクシーの乗客役だった小川座長(67)は「『こら、いつまで待たすっとか』というわずか一行のせりふを言うために何時間も練習し、撮影を待った」と懐かしそうに語る。  ホームセンターの店員役だった大田加代子さん(60)は、「ドラマを見た親戚が『転職したの?』と勘違いして大変だった」と苦笑い。すし屋の店員役だった藤田敏夫さん(68)も「にぎりずしを出したら、ネタだけがころりと落ちてNGだった」と撮影秘話は尽きない。

 大田さんは「場面に沿って感情を高ぶらせていく舞台と違い、場面が前後することが多いドラマ撮影でも、自然と感情を込めることができる俳優に学ぶことが多かった」と振り返る。小川座長も「地方が舞台の先駆け的なドラマ」と言い、「ドラマを知らない若い劇団員と一緒に映画に出演し、諫早の演劇熱を盛り上げたい」と意欲を燃やす。

◎町の風景変ぼう

 33年前の諫早ロケ。大勢の市民が追っ掛け、出演者の素顔に触れる機会も多かった。出演者が宿泊していたホテル近くのコーヒーショップ森(八坂町)には、リラックスした表情の出演者たちの写真が貼られたアルバムと色紙約20枚が大切に保管されている。  店内のピンク色の公衆電話で話す役所さんの写真。店主の森研二さん(46)は「映画のワンシーンみたい」と写真を見つめながら、「この作品を若い世代の人たちがどのように興味を持つか関心があるし、活性化への起爆剤になってほしい」と期待する。

 市立諫早図書館(東小路町)は昨年から、市川さんのドラマ4作品の視聴コーナーを常設。中でも人気が高いのは「親戚たち」。「映画化が発表されて、急に増えたわけではないが、1日1~2人は利用している」(同館)

 ドラマ放送から30年余り。諫早湾の閉め切りに伴い、底生生物のすみかだった干潟は消え、新しい干拓農地が造られた。ドラマの舞台となった喫茶店やホームセンターも店名を替え、町の風景は変ぼうした。  映画化の意義について、市芸術文化連盟名誉会長でもある森長之さんは、こう語る。「33年前の焼き直しでなく、かつて役所さんが演じた『ふうけもん』が今の時代にもいるはず。諫早の将来の夢を語り合い、市民総参加でつくることこそが今回の使命ではないか」。地元での支援体制構築も視野に、活性化への期待を込める。

◎ズーム

 「親戚たち」 諫早市出身の故市川森一さん(1941~2011年)が原作、脚本のテレビドラマ。フジテレビ(KTN)系で1985年7~9月、計13回放送。遺産相続をめぐる親戚たちのしがらみや、都市開発と自然保護のはざまで悩む姿などを骨太に描いた人間ドラマ。映画化は、同市出身の映画プロデューサー、村岡克彦さんが製作総指揮を務める。脚本は市川さんの妹、愉実子さん。2019年春、全国公開予定。

役所広司さんに皿踊りを教えた写真を前に、映画化への期待を語る森長之さん=諫早市八坂町
1~3話の台本には「ザ・親戚たち」(左)と書かれ、制作当時の変遷が感じられる=諫早市立諫早図書館
ドラマ「親戚たち」の出演者らのサインや写真が保管されているコーヒーショップ森=諫早市

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