『Sportskeeda』は11日、「バルセロナでキャリアを台無しにした5名の選手」という記事を掲載した。
世界屈指のクラブと評価されるバルセロナ。その分トップチームで活躍するためには絶大な能力と運を求められる。
そのハードルを超えられず、自分のキャリアを台無しにしてしまった5名の選手とは?
ドミトロ・チグリンスキー
所属:2009~2010年
2008-09シーズンは、バルセロナの歴史上でも最も偉大な時間の一つだったはずだ。
その戦いが終わったあと、バルセロナの執行委員会はジョゼップ・グアルディオラ監督に補強の指示を求める。
ズラタン・イブラヒモヴィッチがその年にカンプ・ノウへとやってきて、大きな失敗に終わったことは誰もが覚えている。
そしてバルセロナに向かった別の選手は、シャフタール・ドネツクからやってきたチグリンスキーだった。
しかしこのウクライナ代表DFは、プジョルとピケのパートナーシップの間に入れず、存在感を見せられなかった。
グアルディオラ監督は彼を長期的に見ていたが、ジョアン・ラポルタ会長は財政の安定のために彼を売った。
その後、チグリンスキーは古巣シャフタールでも苦しい時間を過ごし、継続的にプレーできない状況が続いている。
アレン・ハリロヴィッチ
所属:2014~2016年
2014年の5月に220万ユーロで獲得された18歳のハリロヴィッチ。繊細なドリブルはリオネル・メッシとも比較されるほとだった。
彼はバルセロナの伝説を引き継ぐ可能性があると期待されたが、結局2016年にクラブを離れることになった。
このウイングは『MSN』の前になかなか存在感を見せられず、ローンでスポルティング・ヒホンへ移籍した。
そしてルイス・エンリケ監督は彼を売ることを決め、ハンブルガーSVへと送り出した。
かつて刺激的な才能を見せてくれていたハリロヴィッチは、今ラス・パルマスに貸し出されてプレーしている。
マルク・ムニエサ
所属:2009~2013年
ムニエサはバルセロナの下部組織が育成したタレントの一人であり、2009年にラ・マシアからトップへと昇格した。
しかしながら、彼はファーストチームにおいてほとんどプレー時間を得ることが出来ず、輝かしい彼のタレントを伸ばせなかった。
ムニエサは4年間でわずか4試合にしか出場することができなかった。これは悲惨なスタッツである。
プジョル、アウヴェス、アルバ、ピケのような頑丈なパーティに割り込めず、ベンチの隅に座った。
2013年に彼はストーク・シティに移籍したが、さらにローンでジローナへ貸し出された。彼はもっといい選手になれたはずだが…。
イブラヒム・アフェライ
所属:2011~2015年
彼がバルセロナにやってきたのは2011年だ。アフェライは最も将来を約束されたタレントだと言われていた。オランダのPSVアイントホーフェンで活躍を見せていた。
しかし、彼のキャリアはここで間違いを犯したようだ。彼は4年間でわずか35試合にしか出場できず、2ゴールしか決められなかった。
シャルケ04とオリンピアコスへのローンを経験したが、その間にネイマールとスアレスが加入。
すでにアフェライには戻る場所などなく、2015年にはストーク・シティへと放出されることになった。
もしチャンスが与えられていれば、彼はそれを最大限に活用できたはずである。
ボヤン・クルキッチ
所属:2006~2011、2013~2014年
ボヤンはフランク・ライカールト監督が『宝物』として歓迎した選手であり、リオネル・メッシと双頭となるはずの存在だった。
むしろそうならなければならなかったはずだが、その船出はしばらくして壊れてしまうことに。
2007-08シーズンにボヤンは12ゴール6アシストを記録。17歳であったことを考えれば非常に印象的だった。
しかし精神的な病に苦しみ、さらにグアルディオラ監督が就任したことで、彼のキャリアは混乱させられることになった。
Bチームへの降格を経験し、監督との関係も悪化。2011年にローマへと移籍していった。
現在彼は忘れられた存在になっており、ストーク・シティからのローンでデポルティーボ・アラベスに移籍している。