阿部ら獲得の元巨人チーフスカウト 中村和久氏が残した功績

2014年には阪神・巨人連合の一員としてMLBオールスターチームと対戦した阿部慎之介【写真:Getty Images】

元社会人野球監督として多くのプロ選手を育成

 巨人のスカウトとして阿部慎之助らの獲得に1985年から2009年まで辣腕をふるった中村和久氏が1月17日、東京都内で死去した。70歳だった。

 中村氏は三重県出身。高田高校時代は甲子園出場はならなかったが、名古屋商科大に進学。愛知大学リーグでプレーする。大学の1年先輩にはのちPL学園監督になる中村順司氏がいた。

 卒業後はリッカーミシンに入社。入社1年目の1970年には東海地区の大会であるJABAベーブルース杯争奪大会で優勝。74年に選手を引退し、マネージャー、コーチを経て1982年にリッカー(リッカーミシンから社名変更)監督に就任。

 コーチ、監督として山内和宏(南海)、田中和博(広島)、黒田真二(ヤクルト)、中西清起(阪神)、小林敦美(阪急)などを指導した。しかし会社の業績が傾きリッカー野球部は1984年1月に活動休止。

24年間のスカウト活動では阿部、高橋尚成、山口鉄也らの獲得に尽力

 1985年に巨人のスカウトとなり、87年からは近畿、中国地区を担当。2006年からは球団代表直属チーフスカウトに就任した。

 その卓越した手腕は獲得した選手を見ればわかる。

 橋本清(87年1位 PL学園)、元木大介(90年1位 上宮)、岡島秀樹(93年3位 東山)、高橋尚成(99年逆指名 東芝)、阿部慎之助(2000年逆指名 中大)、亀井善行(04年4巡目 中大)、山口鉄也(05年育成 横浜商→米マイナー)、長野久義(2009年1位 日大)ら、巨人を支えた選手をスカウトした。

 2009年12月に巨人を退団。以後もベースボールアナリストとして「週刊ベースボール」で連載を持つなど、活動を続けていた。

 選手をフォーム、フィジカル面だけでなく、メンタル面まで細かく分析し、評価する手法は高く評価されていた。表面的な記録、数字だけでなく選手のポテンシャルを見抜く名人。指導者として豊富な経験を有していたのが大きく、全くの無名だった山口鉄也を育成枠で獲得したのは中村氏の慧眼だ。多くの選手を発掘し、大成させた名伯楽だった。

(Full-Count編集部)

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