『それからの僕にはマラソンがあった』松浦弥太郎著 何のために走るか?への究極的回答

 話は今から9年ほど前から始まる。著者が「暮しの手帖」編集長に就任して3年ほど経った頃のことだ。

 紙面刷新と部数向上のため試行錯誤を繰り返すものの、なかなか結果が現れない日々の中、ストレスと疲労はどんどん蓄積されていった。ついには睡眠障害まで起こり心療内科を訪れた著者は、そこで薬を処方される。しかし薬を前にして考えた。これでは根本的な解決にはならないのではないか?

 どうしても薬を飲む気になれなかった著者は、その日衝動的に走った。ランニングを始めたのである。

 さほど深い考えも目的もなくスタートした著者のマラソンだったが、結果的には身体のみならず、思考や精神のあり様にも大きな変化をもたらしてくれることとなった。本書にはそれら走ることを通じて学んだこと、気がついたことが具体的に書かれている。

 継続することの意味、失敗の大切さ、自分なりの正解を見つけて行くことの重要性、億劫さ面倒くささを乗り越えるコツ、自分のやり方を疑う方法、結果が見えない時のモチベーションの保ち方……。それらは全て走るという行為の最中に身をもって理解したことでありつつ、仕事や生活にもそのまま応用できる発見だった。

 最初は300メートルを走るのが精一杯だった著者、9年の時を経た現在では年に数回フルマラソンを走り切るまでになっている。しかし今はタイムや距離を伸ばすことには興味はなく、普段は週に3回、1キロ5分45秒というペースを保って10キロを走ることを続けているという。なぜなら今の著者は美しく走ることを追求しようとしているから。身体の構造や走るという行為の原理原則に沿った美しさを手に入れることは、人生そのものの美しさへと繋がっていくと確信しているからでもある。

 ランニングの習慣がない人、または著者のことをあまりご存知ない人にとって、美しく走るなんて言葉は気障に聞こえるかもしれない。

 でも走ると分かるのだ。走ると変わるのだ。

 この原稿の最後に著者に代わって私がそう言わせて頂きたい。私はランニングを始めてまだ1年半だが、この段階でも著者の語る美しさの意味や重要性はよく分かる。もちろんそこへたどり着くにはまだ何年も何年も走り続けるしかないのだけれど、この先にきっとそれがあるということははっきりと分かるのだ。

 この本は「人はなぜ走るのか?」という問いに対する究極的な回答だと思う。

(筑摩書房 1300円+税)=日野淳

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