竹林が支えた江戸時代・徳島の藍栽培 洪水の土砂から流木ろ過、徳島大教授発表

 吉野川の竹林は、かつて洪水時に肥えた土砂を藍畑に取り込む際、ろ過装置の役目を果たした―。徳島大総合科学部の平井松午(しょうご)教授(歴史地理学)が、こうした研究成果を発表し関係者の注目を集めている。「竹林が藍作りを支えた」との視点で論じられたのは初めてという。

 平井教授は、洪水の常襲地帯だった美馬市穴吹町の舞中島地区で、2009年度から川岸に植えられた江戸時代の竹林を調査。

 竹林が島を囲んでいる点に着目し、洪水時は流木などが島内に入るのを止めたほか、家や家財道具が川へ流れ出ないようにしたと指摘する。

 竹林と平行して低い堤防が存在することも紹介し、「高さは現在の吉野川堤防の半分以下の2、3メートル。水が越えてくるのを想定した堤防で、これも流木などをせき止めた」と言う。

 藍作りとの関連については「葉藍栽培には新鮮な土砂と肥料が欠かせない。洪水は甚大な被害を及ぼす一方、恩恵もくれた。竹林は藍作とも共生していた」と話す。

 さらに江戸時代の絵図で、阿波、吉野川両市や板野郡、石井町の藍作地帯に竹林があったことも確認。「竹林は、化学肥料がなかった時代の知恵のたまもの。歴史的に竹林と藍作の関連が深いことが分かる」

 徳島文理大の古田昇教授(自然地理学)もこうした見方に賛同する。「藍は同じ畑で栽培を続けると、約3年で連作障害が起きるといわれる。竹林は新鮮で細かい土や砂、肥料を取り入れる上で理にかなっていた」と評価している。

 徳島城博物館の根津寿夫館長は「徳島藩の史料には、竹林と藍栽培に触れた記述は見当たらない。住民の知恵として、竹林の機能を生かしたのではないか」と話している。

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