対馬出身力士の化粧まわし見つかる 大正時代の大関「對馬洋(つしまなだ)」

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 大正時代の大相撲で活躍した長崎県対馬出身の大関「對馬洋(つしまなだ)」の化粧まわしが先月、長崎県立対馬高で約40年ぶりに見つかった。対馬の景観がきらびやかな刺しゅうで表現されており、長崎県相撲連盟は「長崎県出身力士で大関以上に昇進したのは、(横綱『佐田の山』を含め)2人だけ。大関の化粧まわしは長崎県相撲界の宝」と評価している。

 「対馬の100年」(郷土出版社刊)「大相撲力士名鑑」(共同通信社刊)などによると、對馬洋の本名は川上弥吉。1887(明治20)年、久和(くわ)村(現在の対馬市厳原町久和)に生まれ、成年になって旧日本陸軍の対馬重砲兵大隊に入隊。身長190センチ、体重105キロの恵まれた体格を見込んだ上官の勧めで除隊し、21歳で出羽海部屋に入門した。

 22歳で初土俵を踏み、25歳で化粧まわしを締めることができる十両に、幕下から昇進。右からの上手投げ、小手投げ、つりなどが得意手で、関脇として臨んだ1919(大正8)年春場所で6勝1敗3預(あずかり)の好成績を挙げ、31歳で大関に昇進した。しかし左腕を負傷し大関から陥落。22年、34歳で引退した。廃業後は対馬に戻り、33年、45歳で死去した。

 対馬高にあった化粧まわしは幅約0・7メートル、長さ約6・5メートル。對馬洋の大関昇進記念はがきの白黒写真と同じ柄。市の文化財調査の一環で同校が所蔵していることが判明した。100年近くたっているが水色の波、金色の岩山が鮮やか。裏地は龍や鳳凰(ほうおう)などの赤地の錦があしらわれている。化粧まわしを贈ったのは地元で組織されていた対馬國後援会。

 18歳から対馬高同窓会事務局に務める岸本寿子さん(64)は「(78年に)現在の校舎に移転した際、倉庫にしまったことを覚えている。しこ名にちなみ対馬海峡の荒々しい波を表現したのだろう」と述べた。

 同町久和の川上千代子さん(69)は、對馬洋が大伯父にあたるという。川上さん方には、森永製菓が当時贈ったエンゼルマークの化粧まわし1枚と、家紋入りの羽織がある。川上さんは「片手だけで米俵(約60キロ)を持ち上げたと聞いている。対馬出身の大関がいたことを知ってもらえたら」と話す。

 現在の大相撲では、幕下にいる同じしこ名の「對馬洋」=諫早市出身、本名・梅野勝満さん(24)=が境川部屋で奮闘している。父の友和さん(57)は「大正時代の對馬洋と血縁関係はないが、私や私の祖父が対馬出身だった縁で對馬洋を名乗っている。いつか化粧まわしを締め、故郷に錦を飾ってほしい」と話している。

對馬洋が大関昇進時に締めていた化粧まわし。赤い裏地(上)は龍や鳳凰をあしらった錦。(県立対馬高所蔵)
「對馬洋」が大関に昇進した際の記念絵はがき(川上千代子さん提供)
エンゼルマークの化粧まわしの前で、對馬洋の羽織を手にする川上さん=対馬市厳原町久和、川上さん方