成人式騒動 現代の「信」の行方は

西村明氏

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 年始の行事として恒例の成人式だが、そもそも成人の日の制定は戦後のことで、式典についても、民俗学者の室井康成さんの指摘によれば、昭和初年代に開催された成年式が最も早い例だという。

 案外新しくて、なじみがないからというわけではないだろうが、子どもじみた行動で式典を騒がす事件も聞かれる。

 成人の観念自体は古く、「人成る」という古語や方言がある。読んで字の如(ごと)く、人に成るわけで、時が来れば自動的に成れるものではない。社会の成員として「一人前」とカウントされるために、それなりの日頃の行いが求められるのである。

 今年の成人式ではしかし、いい年をした大人が、世間を騒がせた。着物販売・レンタルの「はれのひ株式会社」が突如ほとんどの店舗で休業し、当日晴れ着に袖を通せなかったという新成人が続出した。

 タレントの西野亮廣さんは自身のブログで、「大人になる日に大人が裏切ってしまったことを、同じ大人として、とても申し訳なく、そして恥ずかしく思っています」と述べ、被害者のための成人式を企画するのだという。

 信じることと裏切らないことは、宗教や道徳といった次元だけの問題ではない。神仏への信仰がなく、また懺悔(ざんげ)の機会を持たない多くの現代人にとっても、政治や経済から日々の人間関係に至るまで、社会を円滑に回していく上で重要なものである。

 お金がありがたいのも、それが他の物やサービスに交換できるという信用の上に成り立つからであり、高層ビルや飛行機が存在するのも、その頑丈さ・安全性への信頼があってこそなのだ。

 信用・信頼は一日にして成らず、長年の蓄積の上にその結果として浮かび上がる。気が遠くなるようなそのプロセスに比すれば、その喪失のスピードは坂を転がり下る鉄球の如くである。再度の信頼の回復には、さらに長い年月を要するだろう。

 現代の信を支えている土台は、意外ともろい。振り込め詐欺などは親子の信頼の隙間を突いた手口と言える。

 信じるということは、希望を抱くということでもあり、それなくしてはもはや機械同然となる。しかし、高度に情報化し、グローバル化した現代社会では、信用だけを担保とすることも危うい。

 嘘(うそ)をついていないか、信ずるに足るか一目で分かるこの世の閻魔帳(えんまちょう)は、残念ながら存在しない。しかし、ITの世界では「ブロックチェーン」という改ざん不可能な技術も進んでいる。人間的な信の領域を活性化するような、現代の閻魔帳の登場を期待したい。

 【略歴】にしむら・あきら 1973年雲仙市国見町出身。東京大大学院人文社会系研究科准教授。宗教学の視点から慰霊や地域の信仰を研究する。日本宗教学会理事。雲仙市から東京へ単身赴任中。