ピースボート 核廃絶へ、船旅で被爆者の声届ける

国際NGOピースボート(事務局 東京都・新宿)の畠山澄子さんは、広島・長崎の被爆者とともに、原爆被害の証言を伝える「おりづるプロジェクト」のメンバーとして活動しています。船旅を通じて世界各地で核兵器廃絶のメッセージを届けてきました。昨年末には、ピースボートが国際運営団体として中心的な役割を担う核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が、ノーベル平和賞を受賞しました。

核兵器を禁止し、廃絶する機運が高まる今日、ピースボートはこれまでの経験や船旅でつながった全国の市民のサポートを活かし、国内での証言活動を実施するためにクラウドファンディングに挑戦しています。畠山さんがこの活動を始めたきっかけや、今後実現したい世界についてお話を伺いました。(聞き手・Readyfor支局=徳永 健人・オルタナS支局スタッフ)

インタビューを受ける畠山さん

――ピースボートでの被爆者の証言活動に携わりはじめたきっかけを教えてください。

2008年にたまたま参加したピースボートの地球一周の船旅がきっかけです。ピースボートが25周年で、地球一周の船旅に103人の広島・長崎の被爆者を招待するというプロジェクトを実施していました。その皆さんと4か月弱一緒に旅をしたことが、証言自体を聞いたきっかけでもあり、活動に興味を持ったきっかけです。それから、おりづるプロジェクトに携わるようになり、スタッフとして今もかかわり続けています。

普通に義務教育を受け、勉強はしていたので、昔8月6日、9日に原爆が落ちたのは知っていました。「何人の命がそこで失われたのか」まではきちんと覚えていませんでしたが、おぼろげには「ひどいことがあった」とか「放射能は怖い」というのは知っていました。

また、高校で留学していた際に、歴史の授業で、原爆を調べ学習のテーマに扱っていたので、知識という点では他の人より少しあったとも言えるかもしれません。それでも、当時の私の視点は「なぜ落としたか」とか「史実として」という、きのこ雲の上の視点でした。それが起きたことがよかったか悪かったかも含めて、いわゆるお勉強の中でやっていることだけでした。

そのとき、被爆者たちがどう思っていたのか、きのこ雲の下で何が起こっていたのかを考えたことは正直なかったですし、私がそこに「気付いていないということを気付かせてくれる機会」も当時はありませんでした。

原爆投下後の広島の写真

ピースボートに乗船してからは、視点が変わっていきました。証言活動に携わり始めて、何気なく見ていた原爆の写真展とかポスターでも「本当にこの写真のどこかに、この人たちがいるんだ」と気が付くようになりました。この人たちが言っていた光景というのは、こういうことだったんだと。

証言活動を通じて、私の中で、歴史上の出来事だった「原爆が落ちたこと」が急に、人間がかかわる話になったのです。

――今後この活動をどうしていきたいですか。

いつか、被爆者の方々が全員亡くなってしまうというという日が絶対に来ます。新聞の見出しで「今日最後の被爆者が亡くなりました」ということを載せる日が来るまでに、一人でも多くの方に被爆者の生の声を、その証言を届けていきたいです。

「核がある世界とない世界どっちがいいのか」という質問をしたときに多くの人が「それは核のない世界に決まっているよね」といえるようになればと思っています。

抑止論が、とか、ロジカルに聞こえてしまう論理に「核兵器ってやっぱり必要だよね」と、流されてしまうのではなく、立ち止まって考えるきっかけになればと思っています。核兵器禁止条約についても、しっかりと考える機会が増え、一つでも多くの地域や国や個人が賛同していければと思います。

クラウドファンディングを通じて、私たちが想っていた以上に、支援者さんの一人ひとりのメッセージが熱く、とても励みになっています。私たちのやってきたことが無意味ではなかったんだと実感できる機会になりました。締め切りまで、残りわずかではありますが、シェアだけでもいいですし、何らかの形でご参加頂ければと思います。

核兵器禁止条約交渉会議のオープニングで証言をした被団協事務局次長の藤森俊希さんと

畠山さんは、Readyforでクラウドファンディングに挑戦中!支援の募集は2018年1月31日23時まで!是非下記のページよりご覧ください。

https://readyfor.jp/projects/pbhibakushaorizuruproject

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