【辺野古から】「沖縄に徹底的に寄り添う」

鳩山元首相に聞く

米軍普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古移設に反対して抗議の座り込みに参加した鳩山由紀夫元首相=2017年9月29日、名護市辺野古、提供写真

 政界を引退した鳩山由紀夫元首相が昨年9月、沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前で、米軍普天間飛行場の移設に反対し「アベ政治を許さない」のプラカードを掲げてスーツ姿で座り込み、一部で話題となった。鳩山氏に沖縄への思いを聞いた。

 ―移設に抗議する座り込みに参加した。

 「最初から座り込むつもりだったのではない。工事に反対する皆さんが続々と座り込む姿を見て一緒に行動したいと思った。首相時代に『最低でも県外』と言った約束を果たせずに辺野古に戻してしまったという強い後悔の念に駆られ、できる限り沖縄の民意に従って行動を共にしたい。より平和な沖縄、平和な国家にしなければならないとの思いで行動した」

 ―実際に座り込みに参加して見えたことは。

 「戸惑いがなかったと言えばうそになる。多くの人が抵抗感を押しのけて努力している。おじいちゃん、おばあちゃんが『戦争にしてはいけない』と平和のために体を張っている尊い行動だと初めて分かった」

 ―機動隊の強制排除も目の当たりにした。

 「国の圧力に庶民の意思がねじ曲げられるつらさと抵抗運動の限界を感じた。一人一人が排除される姿を見るのは忍びない。排除は隣までで、私は排除されなかった」

 ―移設を巡り県民の期待感を失望に変えた。

 「私が初めてゲート前に行ったとき、沖縄の皆さんは『おまえのせいで、こんなことになった。よく来られたな』という気持ちだったと思う。何度も行くうちに仲間意識を持ってくれたと思っている。信じないだろうが、沖縄の人が私に一番優しい。首相として『最低でも県外』ができなかった非力に、沖縄の皆さんは憤りがないわけがない。だが沖縄に向き合ったことで親近感を覚えてくれたのではないか。温かく接してくれる沖縄に徹底的に寄り添いたい」

 ―辺野古移設に反対する民意は消えていない。

 「県外移設は成就しなかったが、首相がそういう思いになったことで、行動できなかった県民が自分の思いを表すことが可能になったと思う」

 ―移設で混乱したことに責任を感じるか。

 「県外移設を実現できなかったのは、日本の官僚が私の意に沿って行動してくれなかった結果だ。米国に従属的な官僚体質は根が深いが、それを動かせなかったのは私の大きな反省点だ。日本の官僚機構は米国に向いている人が出世する仕組みになっている。日本政府にとっては自国民以上に米国が大事。安全保障問題では沖縄に向き合えない仕組みになっている。だから沖縄は米国に呼び掛け、米国の民意を動かすことが大事だ」

 ―「最低でも県外」の判断をどう振り返るか。

 「米海兵隊の役割が大きく変わる中で、辺野古どころか国内で新しい基地を造らせるべきではないと日本は気付かなければならない。米国の意思に常に従う日本ではなく、本当の意味で日本を独立させて、日本人の意思で日本を自立させなければならない。そう考えない人が『ぐちゃぐちゃにした鳩山の責任は大きい』と言う。ぐちゃぐちゃにした責任はないとは言わないが、結果として辺野古に戻してしまった責任の方が大きい。最後まで初志を貫いて行動すればよかったという後悔はある」

   ◇   ◇

 沖縄で取材をしていると鳩山氏を目にする機会がある。反対運動の最前線で元首相が座り込む違和感は強く、真意を測りかねていた。辺野古に回帰して県民を落胆させたのに、なぜ沖縄と向き合うのか。昨年11月のインタビューで鳩山氏の思いは理解できたが、辺野古にどう関わるのか今後も注視したい。(共同通信=那覇支局・星野桂一郎)

2010年5月23日、当時の鳩山首相は沖縄を訪れ、普天間飛行場を辺野古に移設する方針を沖縄県知事に伝えた。「最低でも県外」と公約したが、辺野古に回帰した。歩道には「公約を守れ!」の横断幕が掲げられていた=那覇市
インタビューに答える鳩山元首相=17年11月25日、那覇市

Follow

共同通信

on

©一般社団法人共同通信社

47NEWS

全国47都道府県・52参加新聞社と共同通信の内外ニュース。地域の文化や活力を発信。 話題のニュースの核心に迫る署名入りコラム「47リポーターズ」もスタート。

最新ニュースを読む