植松被告、差別むき出し今も 相模原殺傷1年半

 【時代の正体取材班=石川泰大、高田俊吾、竹内瑠梨】入所者19人が殺害された相模原障害者施設殺傷事件は、発生から26日で1年半。殺人などの罪で起訴された元施設職員、植松聖被告(28)は今なお障害者へのゆがんだ差別感情をむき出しにし、自身の犯行を正当化する主張を繰り返す。識者は被告の姿や言動に「心の弱さ」を読み取り、社会そのものに事件の根幹を見いだす。

 昨年6月以降、植松被告は勾留先の横浜拘置支所(横浜市港南区)で2回にわたって神奈川新聞記者と面会し、11通の手紙のやりとりに応じてきた。「意思疎通のできない人間を安楽死させるべき」との従来の主張を繰り返し、自らの行為を正当化しつつも、時に裁判や判決への不安をのぞかせることもあった。

 「本日はご足労いただき、ありがとうございます」。植松被告は面会室に入るやいなや、小柄な体をくの字に折り曲げて頭を下げ、はっきりとした口調で言った。肩まで伸びた髪を後ろで一つに束ね、逮捕時の金髪は毛先にわずかに残る程度だった。

 接見したのは昨年12月8日と1月11日。なぜ事件を起こしたのか。アクリル板越しの記者の問い掛けに、植松被告はゆっくり大きく2回うなずいて「自分の考えを社会に投げ掛けたかった。問題提起になったかなと思っています」とよどみなく答えた。犯行後、津久井署に出頭したのは目的を達成したからとも話した。

 障害者とその家族への感情を初めて自覚したのは、小学生の時だったという。知的障害がある同級生に付き添っていた保護者の様子について「いつも疲れているように見えた。やっぱり大変なんだなって思いました」。記者に同意を求めるように、眉間にしわを寄せた。

 障害者の殺害を思いついたきっかけは、園で働いていた時にニュースで流れた過激派組織「イスラム国」(IS)の映像。「僕の中でナイスアイデアでひらめいた」。自身の考えを口にした際に同僚から注意を受けたものの、「(人を殺してはいけないという)法律が間違っているだけだと思いました」と振り返った。

 「障害者を殺すことは不幸を最大限まで抑えることができる」−。そんな内容の手紙を衆院議長公邸に持参した約5カ月後、事件を起こした。当時の心境について「実行するのが怖い気持ちもあったが、(国が動いてくれないなら)自分でやるしかないと思いました」と淡々と答えた。

 事件を振り返ることはあるかと尋ねると、「自分のやったことが安楽死にならなかったこと。苦しませて死なせてしまったのは反省と言うか、申し訳ない」。記者の目を真っすぐ見つめながら話した。

 「裁判結果はすごく気になります」。記者の元に届いた便箋の中で判決への関心の高さをうかがわせた植松被告。公判で罪を認めるのかとの問いには首を振り、「私が殺したのは人ではありません。そう主張するつもりです」。ただ、裁判員らに主張が受け入れられるかは「想像がつかない」と言葉少なに語り、視線を手元に落とした。

 今、一番したいことは何か。記者の質問に、植松被告はかすかな笑みを浮かべて言った。「もうできないので。それを考えることはないです」。拘置支所内では手紙を書いたり絵を描いたり、環境問題やごみ問題、安楽死に関する本を読んで過ごしているという。社会が作り出した「病」和光大名誉教授・最首悟さん寄稿 手紙と接見内容を見て、植松青年の心の幅と奥行き、ということを思う。そして問題が何につけ、「わからない」と嘆息することから広がる心の世界を考える。

 植松青年は、入浴介助の時に、溺れそうになった入所者を助けたことがあるという。そして、どうして助けたのか、わからない、という。大きな出発点である。

 どうして人を殺してはいけないのか。少年の問いに、哲学者たちは答えられなかったことがあった。全ての根源としての「いのち」のみがその答えを知っていて、私たちは、それに基づいて、暮らしている。ただ、その答えを言葉にすることができない。人を殺したいという思いはしばしばだが、その答えが実行を押しとどめるのだ。しかし、それを超える激情もある。

 ただ、植松青年は激情に駆られて、19人を殺したわけではない。正気というゆえんの一つである。自ら造語したとみられる「心失者」は、人の心を失った不幸をばらまくだけの、人ではない、モノだという。差別でなく事実だという。そして人は殺していないと言い張る。

 心は謎に充ちている。どこまでが人の心か、線引きはできない。しかし、心をなくすことはない。

 「心失者」という見方は、人をモノ扱いすることが先の、その結果なのかもしれない。人をモノ扱いし、員数で一括りにする。

 公害がそうであり、医原病にならった、社会が原因の社会原病である。胎児性水俣病はいうまでもなく、重度の障害者も認知症もその一面が強い。植松青年もその病の一人だ。

 2025年問題が迫っている。7年後、認知症の人が800万人に達するというのである。すでに、人の条件を定めて、外れる人は安楽死させるという考えが関連誌に載ったことがある。

 誰にでも、その人がいることが必要だ、という人が必ずいる。人は独りでは生きられない。その原点に思いをはせる一日一日でありたい。

 さいしゅ・さとる 1936年生まれ。専門は社会学、生物学。ダウン症で知的障害がある三女星子さんと暮らす。横浜市内で精神障害者通所施設や作業所の運営に携わる。著書に「星子が居る」など。排除の価値観、心の武装精神科医・香山リカさん寄稿 殺害した重複障害のある被害者を「心失者」と呼び続ける植松被告は、いまだにその人たちを「どう考えても人間ではありません」と言い切る。だから、「私が殺したのは人ではありません」として自分を罪に問うのはおかしい、と一貫して主張している。

 これほど身勝手かつ歪(ゆが)んだ考えは、もはや何らかの病的な「妄想」としか思えない。しかし、記者への手紙には時候のあいさつや面会へのお礼などが丁寧な言葉で記されている。妄想が生じる疾患であれば生じるはずの論理の破綻などは、相変わらず見られない。

 精神鑑定では「自己愛性パーソナリティ障害」との診断が下されたという。確かに、共感の欠如や傲慢(ごうまん)さなど自己愛的な傾向はある。しかし記者との面会や手紙の中には「自分は才能が低い」「私は器の小さい男」との言葉もある。このパーソナリティの特徴である特権意識や万能感は、それほど高くないと分かる。

 ただ被告がこうして謙虚さを見せるのは、あくまで「優れている」と認める人に対してだけである。おそらく人間の優劣を判断する非常に単純な尺度があり、相手によって態度や考え方を極端に変えるのだろう。

 さらに面会で、被告は拘置所にも賛同の手紙が来ることに触れた。「個人的には共感してもらえるかと」などと、人を“ものさし”で選別して排除する自分の価値観は決して特殊ではなく、広く支持されるはずという自信ものぞかせる。

 一方で、裁判や判決について「気になる」と率直に明かしてもいる。自信や達成感は、恐怖や不安をごまかすための心の武装かもしれない。「命の重さはみな同じ」という考えを、被告は偽善と呼ぶ。自らの“ものさし”を手放した瞬間、心が崩壊する予感にもおびえているのかもしれない。

 だからこそ、自分の行為をさらに正当化し、支持の手紙が来ていると強調せざるを得ないのではないか。このほんのわずかな変化が糸口となり、遅きに失しているとはいえ、せめて自分は人間として間違った行いをしたと気づき、裁判で反省の言葉を口にしてほしい。

 かやま・りか 1960年生まれ。立教大学現代心理学部教授。専門は精神病理学。著書に「執着 生きづらさの正体」「弱者はもう救われないのか」「さよなら、母娘ストレス」ほか。

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