【特集】谷川俊太郎さん「詩の持つ力」(2) 人を魅了する言葉はどこから

谷川俊太郎展=2018年1月、東京都新宿区

 ▽自分の中にいる子ども

 1月になって開催された「谷川俊太郎展」と谷川さんの講演について前回では取り上げた。その講演の中で谷川さんは自作詩の「さようなら」を朗読した。

 「ぼくもういかなきゃなんない/すぐいかなきゃなんない/どこへいくのかわからないけど/さくらなみきのしたをとおって/おおどおりをしんごうでわたって/いつもながめてるやまをめじるしに/ひとりでいかなきゃなんない/どうしてなのかしらないけど/おかあさんごめんなさい/おとうさんにやさしくしてあげて」…。

 朗読の後で、谷川さんは次のように語った。「こういう詩を書いていて気付いたのですけれど、子どもの内面を書くということは、自分の中にまだ子どもがちゃんと生きているということですね。木の年輪の比喩になりますが、中心にゼロ歳の自分がいて、だんだんと年輪が増えていくように3歳、5歳…、最後に現在の自分がいる。いつも自分の中心に子どもがいるはずだと思います。そういう自分の子どもの部分を抑圧しないと、大人の社会生活を送れないわけだから、ある程度抑圧はしているわけなのです。われわれ、一種クリエイティブする人間はどこかそういう幼児性をコントロールして自分の表現にしていくことができるのではないかと感じています」

 司会進行役の男性から「幼児性をコントロールするとはすごいですね」と言われ、谷川さんは「サラリーマンの人がバーのマダムに甘えたりするじゃないですか。あれだと思いますね」と冗談交じりで語った。

 ▽解放と抑圧

 自分の中にいる子ども。幼児性をコントロールする。講演を聞いていた筆者はこれこそが詩人谷川さんのエネルギー源であり、自ら育んできたものではないかと思えた。60年以上も次々と詩を発表、新たな境地を切り開いていく谷川さんの感性にかかわることなので、こういった話題について本人がこれまでどのように語ってきたか調べてみた。

 河合隼雄さん(故人)との共著「魂にメスはいらない―ユング心理学講義」(1979年、朝日出版社)では、谷川さんはこう述べている。「ぼくは詩を書きはじめたころに、詩を書く一番もとになる心的なエネルギーは何か、と漠然と考えたことがあるんです。そのころ思ったのは、それはいわゆる感情というものではない(中略)それは心理と言い換えてもいいのかな。そういう心理によって詩を書くのではなくて、それよりももっと奥のほうの、感動みたいなものによってであると」。

 また、谷川さんの対談集「自分の中の子ども」(1981年、青土社)では作家大江健三郎さんとのやりとりで次のように話している。

 「子どものための絵本とか童話みたいなもの、あるいは子どものための歌書くときにも(中略)いつでもいちばん考えるのは、結局自分のなかの抑圧されている子どもなんですね(中略)そういう自分のなかの幼児的な部分、あるいは少年的な部分というものを、それを抑えることで大人になりたいと同時に、それをまた解放することでなんか自分を自由にしたい、いつでも両方の心の動きがあるみたいなんですね」

 ▽長持ちの理由

 昨年12月、日本記者クラブで講演したときに「詩歌というものが長持ちする理由」を聞かれ、谷川さんは「言葉がその読者の体に入ってくるときの入り方が、意識下にまで入る、我田引水的な言い方になるんですけれども、意識に入るだけじゃなくて、意識下まで入る。それが長持ちの理由かもしれない」と持論を語った。

 この12月の講演ではLINEなどSNSのやりとりについて、浅い共感にとどまって考えが深まらないというのが谷川さんの感想だ。「表面的なところでお互いに同じ感じ方をしているというコミュニケーションが可能だけれど、言語というのはもうちょっと深いところまで下りていかなければいけないわけでしょ?同感して互いに確かめ合うところの次元が何か浅くて、相手の個性とのぶつかり合いを通してつながることは少なくなっている気がします。恋愛なんかもこのごろしなくなってるでしょ」と話したのは印象的だった。

 「詩の持つ力」、人を魅了する言葉はどこから生まれるのか、谷川さんをテーマにあらためて特集で取り上げたい。(共同通信=柴田友明)

谷川俊太郎展=2018年1月、東京都新宿区
詩人の谷川俊太郎さん=1975年撮影

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