される身になって

 先ごろ亡くなった落語家の古今亭志ん駒さんはヨイショの達人で鳴らした。いわく「ヨイショある家柄」の生まれで、本当かどうか、家庭円満を期して妻も子どもも持ち上げたという。座右の銘があった。「される身になってヨイショは丁寧に」▲それがヨイショの逆-例えば、やじであれば“される身”のことを忘れてよいというものではない。内閣府副大臣の松本文明氏が国会で、沖縄で相次ぐ米軍ヘリの不時着を巡り「それで何人死んだんだ」とやじを飛ばし、引責辞任した▲すぐに後任も決まり、首相も任命責任は私にあると謝罪した。えらくまた、さっさと事を畳んだ-ように見える。思えば目の前に普天間移設問題が争点の沖縄県名護市長選がある。浮かぶのは「幕引き」の文字▲それにしてもどうだろう。死者が出たわけじゃあるまいし、不時着くらい何だ-と言わんばかりのやじの心無さと言ったら▲多少は品位に欠けるとしても、国会での発言者の痛いところを突く、当意即妙のやじならば許容範囲と思いたいが、見れば鋭利な言葉が矢のように飛ぶ▲志ん駒さんの言葉をもう一つ。「街を歩いてる人の全てが客に見えてしょうがねえ」。街行く一人一人の身になって…。底抜けのヨイショぶりに、その極意に、政治が学ぶところもいくらかあるだろう。(徹)

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