キングカズから始まった「セリエAの日本人選手」をユニフォーム姿で振り返る

今季のセリエAで唯一の日本人選手だった長友佑都がガラタサライに期限付き移籍となり、1998年から続いたセリエAの日本人選手はついに途絶えてしまった。

少々寂しい話だが、この「約20年ぶりの日本人選手ゼロ」を機に、これまでセリエAにチャレンジした日本人選手をユニフォーム姿で振り返ってみたい。

あらゆる面で欧州サッカーが遠かった90年代。テレビ(それも地上波)で「世界最強リーグ・セリエA」を見ていた時代から続く日本人選手の歴史を、これを機会にあらためて確認してみよう。

なお、「メッシーナ時代(2004-06)の柳沢敦」と「トリノ時代(2006-08)の大黒将志」については、残念ながら画像の用意が叶わなかったため、心苦しさを覚えながらも今回は割愛した。

三浦 知良(ジェノア) 在籍年:1994-95

ユニフォーム:1994-95 Errea Home

後進へ道を切り開いた正真正銘のパイオニア。今に続くセリエAへの道は、カズの挑戦とこのユニフォーム(そしてフランコ・バレージとの激突による負傷)から始まった。ゴールを決めたジェノヴァ・ダービーも、このホームキットを着用。

胸スポンサーは“KENWOOD”。ジェノアはシャツ全面にエンブレムや伝説上の動物“グリフォン”の透かしプリントが入っている。

ユニフォーム:1994-95 Errea Away

こちらはホワイトを基調としたアウェイキット。エンブレムは腹部にプリントされている。ホームキットと同じくシャツ全体に透かしプリントが入っていて、コレクター心をくすぐるデザインだった。

中田 英寿(ペルージャ) 在籍年:1998-99

ユニフォーム:1998-99 Galex Home

ユヴェントス相手に2ゴールを叩き込んだ衝撃のセリエAデビュー戦や、ミラン・ラパイッチとの好コンビが思い出される98-99シーズンのホームキット。エンブレムに描かれている“グリフォン”を大きくプリントしたデザインが印象に残る。

中田は1999-2000シーズンの前半までペルージャでプレーした後に、ローマへ移籍した。

名波 浩(ヴェネツィア) 在籍年:1999-2000

ユニフォーム:1999-2000 Kronos Fourth

ホームキットのデザインが熱狂的なサポーターに不評だったためほとんど使われず、急きょこのフォースキットを作り「事実上のホームキット」として使ったエピソードを持つ一着。

デザインがどことなく某お茶漬けのパッケージに似ているため、日本人のユニフォームファンからは“永谷園ユニ”と呼ばれることも。ユニフォームが大きめに見えるのは、当時の選手はXLサイズの着用が義務付けられていたためか。

中田英寿(ローマ) 在籍年:1999-2001

ユニフォーム:1999-2000 Diadora Home

大きな驚きだったローマ移籍シーズンのユニフォームは、両袖のオオカミのプリントが特徴的。3シーズン続いたDiadoraとの契約はこの1999-2000が最後で、優勝した2000-01シーズンからはKappaのキットを使用した。

中田 英寿(パルマ) 在籍年:2001-03

ユニフォーム:2001-02 Champion Home

パルマへ移籍したシーズンのユニフォームは、ジャッロブルー(イエロー/ブルー)の水平ストライプ。1999年から2006年までChampionのキットを使用したが、基本的にフットボールとは無縁のブランドだけに意外性があった。中田は2003-04シーズン途中でボローニャへ期限付き移籍となる。

中村 俊輔(レッジーナ) 在籍年:2002-05

ユニフォーム:2002-03 Asics Home

欧州初挑戦となった2002-03シーズンのユニフォームは、伝統のワインレッドにシャドーストライプというデザイン。背番号10を背負い、このシーズンでは中田英寿(パルマ)との「10番対決」も実現した。胸スポンサー“Cafe MAURO”はイタリアのコーヒーブランド。

柳沢 敦(サンプドリア) 在籍年:2003-04

ユニフォーム:2003-04 Asics Home

伝統のブルーのユニフォームを身にまとったカルチョ初挑戦のシーズン。キットサプライヤーのAsicsとは1990年から15シーズンに渡ってタッグを組んだ。胸スポンサーの“ERG”はジェノバにあるエネルギー関連企業。柳沢は1シーズンでサンプドリアを去り、次の2シーズンをメッシーナでプレーした。

中田 英寿(ボローニャ) 在籍年:2004

ユニフォーム:2003-04 Macron Home

わずか半年弱の在籍だったが割と活躍したこともあり、印象に残っているユニフォーム。首周りや袖口のカーブをつけた曲線カットがおしゃれなデザインだった。ボローニャは2001-02シーズンから現在までMacronとテクニカルスポンサー契約を継続している。

中田 英寿(フィオレンティーナ) 在籍年:2004-05

ユニフォーム:2004-05 adidas Home

シンプルでカッコよかったadidas製2004-05モデルだが、結果的に中田にとってイタリアでの最後のユニフォームとなった。フィオレンティーナといえばTOYOTAのイメージが強いが、2001-02シーズンを最後にシャツスポンサー契約を一旦終了し、この2004-05シーズンから復活している。

小笠原 満男(メッシーナ) 在籍年:2006-07

ユニフォーム:2006-07 Legea Home

小笠原にとって唯一の海外挑戦シーズン。ホワイトを基調に、メッシーナの街の旗や紋章に使われているレッドとイエローを配している。キットサプライヤーはプロヴィンチャをお得意さまとしていたLegea。小笠原はリーグ戦とカップ戦を合わせても8試合のみの出場に終わった。

森本 貴幸(カターニア) 在籍年:2006-11,2012-13

ユニフォーム:2008-10 Legea Home

現在はアビスパ福岡に在籍する森本。カターニアに在籍した5シーズン半で最も活躍したのが、この2008-10モデルを着ていた2シーズンだった。カターニアの街のシンボルが象ということもあり、欧州のチームにしては珍しく象をエンブレムに描いている。

長友 佑都(チェゼーナ) 在籍年:2010

ユニフォーム:2010-11 adidas Home

長友のイタリア初挑戦はプロヴィンチャのチェゼーナから。わずか半年間の在籍だったが、このユニフォーム姿が脳裏に焼き付いた方も多いだろう。胸のスポンサー“TECHNO GYM”はフィットネスマシンのメーカー。写真のマッチアップの相手はアレッシオ・チェルチ。

長友 佑都(インテル) 在籍年:2011-2018

ユニフォーム:2010-11 Nike Home

期限付きとはいえ名門インテルへ電撃的な移籍を果たし、その後7シーズンを過ごすことになる。ユニフォームには、前年12月にクラブワールドカップを優勝した証のFIFAチャンピオンバッジが胸中央に付き、右胸にはスクデットバッジとコッパイタリアバッジが付く。ギザギザのストライプが個性的かつユニークなデザインだった。

森本 貴幸(ノヴァーラ) 在籍年:2011-12

ユニフォーム:2011-12 Joma Home

出場機会を求めてノヴァーラへ期限付き移籍したシーズン。クラブはじつに55年ぶりのセリエAだった。エンブレムの「赤に白十字」はノヴァーラの街の紋章から。胸のスポンサーはポポラーレ・ディ・ノヴァーラ銀行。

本田 圭佑(ミラン) 在籍年:2014-17

ユニフォーム:2013-14 adidas Home

ロシアを離れ、2014年1月に加入した本田。ミランの10番を背負ったこともあり大きな注目を集めた。ロッソネロ(レッド/ブラック)の細めのストライプに、肩から袖にかけてのゴールドのスリーストライプスというカラーコンビネーションが、なかなか美しいユニフォームだった。

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