「私、アメリカで働きます!」ナオコの生誕から学生時代まで 明石のナオコがアメリカに行くまで Vol.1

吹田真子(ふきたなおこ)です!自己紹介します

兵庫県明石市生まれ、神戸で学生時代を過ごし、東京の大学に合格したものの、ある出来事をきっかけに渡米を決意。アメリカの大学に進学し、国際関係学を学び卒業。就職は、日本で。横浜の専門商社でマーケティング・営業を担当したのち、北欧の教育機関でカウンセラーとして働くなどの経験を経て、「アメリカで働きたい」と思い始めていた矢先、再度渡米するチャンスを得る――。
好きなことは、英会話と温泉、スーパー銭湯、あと食べること。特技は、水泳、書道、そして地味に縄跳びという、兵庫県明石市の海のそばで育ったナオコが体験した、2度の究極のOFF TOKYOについて記すものです。エンジニアではありませんが、ぜひ参考ください!

こんにちは!このストーリーの主人公、吹田真子(ふきたなおこ)と申します。
出身は兵庫県明石市。明石海峡大橋と淡路島を眺めて育ちました。

中学・高校は、神戸市の山の途中にある女子校へ。6年間毎日山登りをしていました。

運命を変えた「英語」との出会い

そんな中学時代に出会い、私の運命を変えたのが、「英語」でした。
当時世界中で大流行した映画の影響も受け、英語、そして海外、特にイギリスに興味をもちました。
英語を聞くということ、そしてそこで話されている意味が分かるということが、楽しくて楽しくて。あんなにも自らすすんで何かを勉強したことは、他にはありません。

そして忘れもしない中学3年生の夏、夢の国だったイギリスへの切符を手にすることができました。
夏季研修と題した短期留学枠に合格し、人生で初めて海外へ。

飛行機という鉄の塊が空を飛べること、それに乗り込み海を越えられること、
絵本やテレビの中に描かれていた景色の中に自分が入り込めること、
明石では決して出会うことがないほどの様々な人が世界にはいること、

そして、英語こそがそれらの人々と自分をつなぐことができること。

ありとあらゆる”初めて”を実際に体験し、ひとつ夢を叶えた瞬間でした。

帰国後思ったことは、”もっと英語が話せるようになりたい、もっと海外でいろんな人に出会いたい!”でした。

洋楽を聴き、洋画や海外ドラマを見ていく中で、次の夢の国となったのが「アメリカ」でした。
“人種のるつぼ”で有名なアメリカ。
ここに行けば、一度にもっと様々な人に出会えると、夢を抱いていました。

そのためには、「英語」を話せるようにならねば!
これを目標に、日々自主学習に励んでいました。

初めての挫折。でも、ピンチはチャンス

高校2年生の時、進路を決める際にも、英語で授業が受けられることを軸に志望大学を探しました。
やっとひとつ行きたいと思う大学を東京に見つけ、必死で勉強し、無事、合格しました。

これで英語を思う存分学べる。外国籍の教授のもとで留学生と一緒に、英語で授業を受けられる!
これで英語を話せるようになる!!

――しかし、残念なことに経済的な理由から進学が困難だということになり、諦めざるを得ない状況になりました。
一度かみしめた喜びと、想像するだけでも十分なほどの楽しみがある嬉しさを、綺麗に忘れられるわけもなく、絶望的な気持ちを味わいました。

あのときが、人生で最初の挫折だったと思います。

そんなとき、母が進めてくれたのがアメリカの大学への進学でした。

最初聞いたときは、何の話をしているのか……と。
まさかそんなことが現実的に可能だなんて考えてもみなかったし、思いつきもしませんでした。

母は、言いました。

あなたが本当にやりたい事はなに?「英語」を話せるようになって「アメリカ」に行きたいんじゃないの?

この一言が、私の人生の大きなターニングポイントとなりました。

とはいえ、この選択は多数派ではないだけあり、突破すべき条件も多く、やはり簡単なことではありませんでした。

でも、自分が本当にやりたい事となると、不思議な力が加わるのでしょうか。いくつもの課題をなんとか突破することができ、ついに明石から飛び立つことになったのです!

――つづく

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