「私の時間が無くなっていくの。助けて」彼女が多重人格になった話/Ryosuke Usui

はじめに

 

もう20年も前のことだ。

 

これは、まだ僕が高校生だった頃の話。

 

中学時代、周りから「寄生虫」と呼ばれ、トイレに呼ばれ蹴られる、という日々を送っていた僕は、命を絶とうと、カッターナイフを左手首に当てたものの、怖くて動かせず、ただ毎日を必死に耐えて、高校に入学することで、何とか生き延びることに成功した。

 

高校では、「何とか生き延びた!」と、心の底から安堵したものの、どこまで行っても「いじめられっ子」としての根っこが残っていて、どうしても自分に自信が持てなかった。

 

だから、「自分に自信が持てるような何か」をいつも探していた。

 

今考えると笑ってしまうが、毎日のように腹筋をして、6つに割れた自分の腹筋を見て、「自分は腹筋が割れているからきっと大丈夫!」とか、しまいには、親に買ってもらったマウンテンバイクを毎日見ながら、「自分はマウンテンバイクを持っているからきっと大丈夫!」とか、そんなことにすらすがって、何とか「自分に自信を持ちたい」と思っていた。

 

でも、何をしても、まだ「いじめられっ子」根性は直らず、卑屈なままだった。

 

自信の無い僕は、友達と話していても、

 

「自分のことをバカにしているのではないか?」

「見下しているのではないか?」

 

心の片隅で、いつもそんな風に考えていた。

 

そんな僕が始めたのが、音楽だった。

 

ギターを始めて、バンドを始めて、作詞作曲をして。

 

安易と言えば安易だが、中高生の男子が一度は頭に思い描く趣味だ。

 

単純に「格好良い!」と思ったし、これなら、「自分に自信が持てるのではないか?」と思った。

 

そして、めちゃくちゃ勇気が要ったが、文化祭で、他の生徒たちの前で演奏までした。

 

ただ・・・悲しいかな、一緒に演奏した「誰もが驚くような凄腕」の友達の演奏にみんな目が釘付けで、僕のことを見ている人はいなかった。

 

(音楽もダメか・・・僕はこのまま一生、自分に自信が持てないまま、生きていくのか・・・)

 

(「いじめられっ子」はどれだけ表面だけ取り繕っても、根っこは「いじめられっ子」のまま。堂々と生きることが出来る日は来ないのか・・・)

 

文化祭を終えて、意気消沈していた僕に、その子は突然話しかけてきた。

 

「ねぇ、君、文化祭で演奏してたでしょ?」

 

それがアミ(仮名)との出会いだった。

 

 

 

初めての恋愛

 

サラサラの黒髪ロングに、くりっとした大きな瞳が印象的な女の子。

 

アミは、女性に慣れていていない僕が見ても、明らかに世間一般的に見て美人だと分かる子だった。

 

しかも、英語がペラペラで、高校の英語の先生に、

「発音が高校生離れしてるね」と言わしめるほどの実力。

 

ピアノも非常に上手く、その音楽の力と語学力を使って、

外国の人たちが来るバーで、ピアノの弾き語りをしてお金をもらう、

 

という、何だか凄いバイトをしていて、見た目も中身も、

何もかもが、僕の住む世界とはかけ離れていた。

 

どうして、そんな彼女が、いじめられっ子だったような、どこからどう見てもサエない、モテない僕に興味を持ってくれたのか、未だによく分からない。

 

ただ、唯一と言っていい、「音楽」という共通の趣味が、

僕らを引き合わせてくれたらしい。

 

「りょう!一緒に帰ろ!」

 

「あ・・・う・・・うん・・・」

 

アミは、僕が戸惑って挙動不審になるほど、積極的にアプローチしてくれた。

 

いじめられっ子だった僕は、もちろん、生まれて初めて女の子に言い寄られた訳で、即座に恋に落ちた。

 

まさか僕の人生で、女の子と一緒に下校出来るような日が来るとは露程も思わず、しかもそれが可愛い彼女と来れば、もう、僕の気分は高揚しっぱなしだった。彼女と一緒にいて、ドキドキしていない瞬間などなかった。

 

これはもしかして、中学時代の地獄を生き抜いた自分に対する、神様からのご褒美なんじゃないか?

 

本気でそんなことを考えてしまうくらい、幸せだった。

 

そして、一緒にいる間に、

 

「こんな素敵な子と一緒にいられるのだから、少しは自分に自信を持って良いのではないか?」

 

と、そう思うようになった。

 

そして、少しずつ、堂々と彼女と喋れるようになっていき、

自分に自信を持てるようになった。

 

彼女は、「いじめられっ子」という呪縛から僕を解き放ち、救ってくれた。

 

 

 

家族との不和

 

だが、そんな幸せな日々は、すぐに終わりを迎えることになる。

 

付き合い始めてから、少しずつ、アミが家族のことを話してくれるようになったのだが、どうやら、彼女は、家族と仲が悪いらしい。

 

特に、姉、そして母親とは、何度も大喧嘩をしており、ポツリポツリと話す彼女の表情がとても暗いことから、どれだけ彼女が苦しんでいるのかが垣間見えた。

 

この頃になって、女性に慣れていていない僕でも、ようやく気付いた。

 

アミは、ただの音楽好きな明るい女子高生ではなかった。

 

家庭不和を抱える、「情緒不安定」な子だったのだ。

 

色々と話を聞けば聞くほど、僕はいたたまれなくなっていった。

 

アミは、家庭不和だけでなく、どうやら友人関係も上手く行っていなかったらしく、全てが積もり積もって、家で暴れてしまうことがあるらしい。

 

でも、きっと、近い将来、全てが良い方向に変わる。

 

アミと出会うことで自分に自信を持てるようになっていた僕は、全く根拠が無い癖に、そう信じていた。

 

―――あの日までは・・・

 

 

 

精神病院への入院

 

その日の夜も、僕は電話を待っていた。

 

まだ携帯電話が普及する前のことだ。

 

電話と言えば、家電話、という時代。

 

恋人と電話しようと思うと、相手の家に電話を掛けて、

親に取り次いで貰う、というのが一般的だった。

 

僕らは、電話するときは、「アミが電話したいときに

僕に掛けてくる」という形にしていた。

 

そして、彼女が電話したいときというのは、結構頻繁にあったので、

僕らは毎日のように電話していた。

 

多少前後することはあっても、大体いつもはこのくらいの時間に

掛かって来るはずだけど・・・

 

今日はもう、電話無しかな?

 

そう思っていたら、電話が鳴った。

 

高鳴る胸をおさえて、母親が取り次いでくれた電話を受け取る。

 

しかし、電話口のアミは、いつもとは違う様子だった

 

「もしもし?アミ?」

 

「・・・りょう、助けて・・・」

 

「・・・?どうした?」

 

「私、病院に入れられちゃう・・・病院はイヤ!絶対にイヤ!」

 

「落ち着けって!何があったんだ?」

 

話を聞くと、どうやら、アミはまた家で暴れたらしく、親はもう我慢の限界に達していたようで、娘を精神病院(現在の正式名称は精神科病院)に入院させる、とのことだった。

 

アミが、精神病院に入れられる・・・

 

話を聞いたものの、僕はどうしたら良いのか分からず、

呆然としていた。

 

「もうイヤ!こんなの・・・もう、誰も信じられない!」

 

まるで身を引き裂かれるかのような彼女の声を聞いて、

彼女を支えたい一心で、僕は搾り出すように言った。

 

「俺、今、お前のために曲を作ってるんだ。

 その曲を入れたカセットテープを持って病院に会いにいく。

 

 だから、他のこと全部信じられなくても、それだけは信じろ!」

 

いじめられっ子だった自分が、思いのほか男らしくなっていたことに、

自分で驚く。

 

でもそれは、自分を好きになってくれた、アミのおかげだった。

 

「・・・うん・・・分かった・・・待ってる・・・」

 

こんな僕を好きになってくれた。

 

「こんな僕でも良いんだ。大丈夫なんだ」と、自信をくれた。

 

僕は、僕を救ってくれた女の子を助けたかった。

 

医者でも何でもない、単なる高校生だけど、彼女の力になりたかった。

 

 

 

病室

 

僕は、アミのために作っていた曲を、急いで仕上げた。

 

そして、カセットテープに録音して、

彼女が入院している精神病院に会いに行った。

 

病院に着いたが、見た目は、他の病院と大差ないように思えた。

 

ただ、何故こんな人気のないところに作るのだろう?と思うくらい、

他には何もないような山奥に、その精神病院はあった。

 

中に入った後も、何となく、ちょっと普通の病院よりも、

雰囲気が暗いかな・・・と思う程度で、別に大きな違いは感じなかった。

 

・・・だが、アミがいる病室の扉を見た瞬間、

自分が間違っていたことに気付いた。

 

映画でしか見たことがないような、鉄の塊とでも言うような、

分厚い扉。

 

「ギギギ・・・」

 

軋むような音と共に、ゆっくりと扉が開くと、中には、

少し開けた空間があり、その奥に、更にもう一つ、部屋があった。

 

それを見た瞬間、僕の背中を冷たい汗が伝った。

 

手前の部屋の奥の壁は、一面、大きなガラス張りになっており、

一番奥の部屋の中の様子が見えるようになっている。

 

一番奥の部屋は、横長で、左から順番に、ベッドが縦に備え付けられており、

それぞれのベッドの上に、虚ろな表情の患者たちが佇んでいた。

 

そして、手前の部屋の一番左奥には、先ほどと全く同じ、

鉄製の分厚い扉があり、手前の部屋に入った後、

 

まっすぐ歩けば、そのまま奥の部屋へ繋がる扉に辿り着く、

という構造だった。

 

・・・不必要に思えるほどの、鉄製の分厚い扉。

 

・・・わざわざ部屋を二重にしなければいけないほどの何か。

 

・・・こちらから「全て丸見え」の状態で管理される患者たち。

 

一体ここは何なのだろうか・・・?

 

もしかして僕は、来てはいけない場所に

来てしまったのではないのだろうか?

 

ふと、そんな考えが浮かんだ。

 

「りょう!来てくれたんだ!」

 

部屋に入っただけで不安に押しつぶされそうになった僕を、

聞き慣れた声が温かく包んでくれた。

 

アミの笑顔を見て、心底ホッとした。

 

これじゃ立場が逆じゃないか・・・

 

いかんいかん・・・ちゃんと彼女を支えなければ!

 

「はい、これ。アミのために作った曲だぞ」

 

「本当に作ってくれたんだ!ありがとう!嬉しい!

 ねぇねぇ、今、聴いても良い?」

 

「良いぞ」

 

「やった!」

 

笑顔で話す彼女を見ながら、きっと症状はすぐに良くなるに違いない、

そう思った。

 

だが、医者が説明した彼女の病名を聞いて、

必死に膨らませた希望が一気に収縮するのを感じた。

 

病名は・・・

 

「多重人格障害」

 

だった。

 

 

 

多重人格

 

多重人格障害(現在の正式名は「解離性同一性障害」)・・・

 

アミが、多重人格に・・・?

 

現実感のない話だった。

 

夜、電話するときも、病室で会うときも、

いつものアミだったからだ。

 

他の人格と話したことは無かった。

 

アミにカセットを届けてからというもの、しばらくはそんな感じで、

多重人格障害と分かってはいたけど、どこか現実感が無いままだった。

 

僕は、お見舞いに行きつつ、

 

「きっと治るはず。そうさ、そうに決まっている」

 

と、ともすれば不安になる自分に、必死でそう言い聞かせていた。

 

でも、ある日・・・

 

いつものように、夜、彼女からの電話を受けると、

彼女は、泣いていた。

 

「アミ・・・?どうしたんだ?」

 

次の言葉を聴いて、僕は、目の前が真っ暗になった。

 

「気付いたら、何時間も経ってるの・・・その間の記憶が無くて・・・

 私の時間がどんどん無くなっていくの・・・りょう・・・助けて・・・」

 

好きな人が助けを必要としている・・・

 

でも、自分には何も出来ない・・・

 

自分がいじめられていた時に感じていたものとは、

全く違う無力感だった。

 

僕はとにかく、

 

「大丈夫だから!きっと大丈夫だから!な?

 俺、また病院に会いに行くから!」

 

そう言うしかなかった。

 

 

 

他人格

 

その電話の後、病院にお見舞いに行った際、

僕は初めてアミの他人格と会話することになった。

 

いつものように、病室のモニタールームとも言うべき、

手前の部屋内の椅子に座って待っていると、

 

「りょ~おぅ~!」

 

と、幼稚園児のような、少し舌足らずな感じで

彼女は話しかけてきた。

 

「これぇ~、りょ~おぅ~!んでねぇ~、これぇ~、あたしぃ~!」

 

小さな子どもが描いたような、下手くそな絵を見せながら、

満面の笑顔で、僕に一生懸命説明する彼女。

 

どうやら、それは、3つある人格のうちの1つらしかった。

 

また、ある時は、僕と会った瞬間、全て英語で話しかけてきた。

 

英語が得意なのは知っていたけど、

まさか全て英語で喋る人格があるとは・・・

 

何を言っているのかよく分からないが、

とりあえず、うん、うん、と頷きながら、話を聞いていると、

 

徐々にアミの声が小さくなっていって、目を閉じた。

 

そして、そのまま数秒間沈黙を保ったかと思ったら、

ゆっくりと目を開けて、

 

「りょう!来てくれたんだ!」

 

と、あたかも、その日、初めて僕と会ったかのように、

再会を喜んだ。

 

「りょうの作ってくれた曲、もう100回以上聴いたよ!

 何度聴いても、凄く良い曲!本当にありがとう!」

 

「主人格」である彼女との時間は、以前に比べて

かなり短くなっており、貴重なものとなっていた。

 

この頃になっても、僕は、

 

「きっと治るはず。きっと治るはず。きっと・・・」

 

と、まるで呪文のように唱えていた。

 

そうでなければ、不安に押しつぶされそうだったからだ。

 

だが、医者は、無常にも、匙を投げた。

 

医者が言うには、この病気は、

 

「治らない」

 

とのことだった。

 

 

 

その後

 

医者の言葉は、患者の関係者に絶望を与えるものだった。

 

だけど、僕は、それ以後もずっと、

 

「きっと治るはず。きっと治るはず。きっと・・・」

 

と、呟いていた。

 

あの頃の僕の行動も、十分、病的だったかもしれない。

 

信じていなければ、もう、自分も一緒に

駄目になってしまいそうだったからだ。

 

夜、電話で話すときに、アミは言っていた。

 

「あのね、他の子たち(他人格)も、悪い子じゃないの。

 だから、あの子たちにも優しくしてあげてね」

 

自分の時間を奪っている相手に対して、

そんな風に優しく出来る彼女・・・

 

なんでそんなに優しくなれるんだよ!?

 

何だか、無性に切ない気持ちになった。

 

こんなに良い子が、なんでこんな目にあわなければいけないんだ!?

 

お願いだ、治ってくれ!治ってくれよ!

 

お願いだから・・・

 

すがるように願った。

 

 

 

 

―――そして・・・

 

お見舞いを続けてしばらく経った頃・・・

 

多重人格障害の症状が、パタリと無くなった。

 

医者でさえ、「治らない」と、匙を投げていた病気が、

治ったのだ。

 

理由は、今でもよく分からない。

 

もしかしたら、それは、自分の時間を奪っている

他人格に対してさえも、優しく出来る、

 

彼女の人柄のおかげだったのかもしれない。

 

もしかしたら、それまでは喧嘩していた家族が、

親身になってくれていたのかもしれない。

 

実は、友達がお見舞いに来てくれていたのかもしれない。

 

そして、おこがましいけれど、もし、そこに1%でも、

僕の力があったならば、嬉しいなと思う。

 

周りの人間の愛情があれば、病が治るなんて、

そんなこと、医者でもない僕には、口が裂けても言えない。

 

でも、家族にしろ、友達にしろ、僕にしろ、

誰かの愛情があったからこそ、きっと、彼女の病気は治ったのだと思う。

 

 

― ― ―

 

柔らかい日差しに包まれた彼女。

 

病気が治る前、何度も彼女の笑顔は目にしていたはずなのに、

僕は、彼女の本当の笑顔を、久しぶりに見た気がした。

 

 

 

終わりに

 

本当は、そのまま彼女と付き合い続けて、結婚でもしていたら、

美しい締めくくりの美談になるのだろうけど、

 

残念ながら、僕らはその後、別れてしまった。

 

でも、僕は彼女に会えて本当に良かったと思っている。

 

僕は彼女に感謝している。

 

僕に自信を与えてくれてありがとう。

 

僕を救ってくれてありがとう。

 

僕を好きになってくれてありがとう。

 

僕の側にいてくれてありがとう。

 

そして、それだけでなくて、彼女は僕の人生に

大きな影響を与えている。

 

音楽でお金をもらっていた彼女に触発されて、

僕は、ギターを背負って上京までしてしまった。

 

その後、音楽の夢は諦めてしまったけど、

今度は、英語がペラペラだった彼女に触発されて、

 

今では、英語の講師として仕事をしている。

 

 

この話を書いたのは、同じような病気で苦しんでいる人と、

その人を支えている恋人、その両方に対して、

 

少しでも力になれたら、という思いがあったからだ。

 

あと、病気ではなくとも、何か恋愛に関する障害があって、

2人で何とか乗り越えたいと思っている人がいたら、

 

この話が少しでも励ましになれば、という思いもある。

 

医学的なことは分からないけど、

誰かの愛情は、きっと、他の誰かを救うのだと思う。

 

だって、少なくとも、僕はそれで救われたのだから。

 

最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。

著者:Ryosuke Usui (from STORYS.JP)

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