お笑いやります! 元警官の運命を変えたもの  U30のコンパス24部 選んだ道を生きる(1)

広島県警の元警察官でお笑い芸人の下川優太郎さん=大阪市

 いろんな事情が絡み合い、やりたかったことと違う仕事に就く人は多い。そして、働き始めてからも小さな後悔が残る。好きなことで生きる充実感を求め、一度はやめたチアリーディングを仕事と両立させる女性。周囲の反対を押し切り縄跳びで生活する男性。元警察官は、安定を捨て、お笑いの世界で成功を目指す。自ら選んだ道を懸命に生きる姿を届ける。

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 警察官姿でステージに立つ男。自己紹介の後、腰から取り出した偽物の拳銃を構え、威嚇するように客席に向けた。「もっと笑っていいよー」「命懸けで聞いてくださいねー」。大阪・難波のライブ会場に笑いが起きた。

 よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属するお笑い芸人「下川サブミッション」こと下川優太郎(しもかわ・ゆうたろう)さん(26)は元警察官。安定を捨て、成功者が一握りの厳しい世界に飛び込んだきっかけは、2分間の体験だった。

 高校2年の時、漫才コンクール「M―1グランプリ」に出場した。同級生とコンビを組み、不動産業者が風変わりな物件を薦め続ける漫才を披露。舞台から観客の反応が見て取れた。ネタを笑ってくれる感覚が心地よかった。スポットライトを浴びた2分間、夢中だった。1回戦で敗退したが「あの時間がなければ芸人にはならなかった」。

 高校卒業後は中学から志望していた広島県警に入った。配属先の交番で、地域のパトロールや事件事故の捜査、野生動物の駆除など、さまざまな任務に当たった。ただ、あの興奮がどうしても忘れられなかった。

 「お笑いやります」。2013年春、人事異動を契機に、思い切って上司に告げた。上司は一瞬驚いたが「頑張りんさい」と送り出してくれた。

 大阪のお笑い芸人養成学校「吉本総合芸能学院」(NSC)の門をたたいたのは14年4月。意気揚々と飛び込んだが、待っていたのは試練の日々だった。入学当初、テレビの警察密着番組に登場する犯人風に自己紹介すると「換気扇の音が聞こえるくらいすべった」。全国から集まった数百人の同期はみんなが面白く見え「絶対いけるという自信はすぐに折られた」。

 生活は楽ではない。芸人としての収入はほとんどなく、警察官時代の貯金を切り崩しながら、通天閣のガイドなどアルバイトを四つ掛け持ちして生活費を稼いでいる。

 NSCを卒業してから今春で3年。観客から「面白かった」と声を掛けられるなど、手応えを感じることも増えてきた。

 

ライブでネタを披露する下川優太郎さん=大阪市

 

 「ツイッターで批判された。何とかして」「業務用冷蔵庫の中に裸の男がいる。捕まえて」―。実体験を基に脚色した110番の内容をユーモラスに紹介するネタが十八番だ。

 今はピン芸人だが、コンビを組み「M―1グランプリ」の決勝の舞台に立つことを夢見る。「お金はないがお笑いに携われて幸せ。2分よりも長くあの舞台に立ち、お客さんに笑ってほしい」(共同=江森林太郎29歳)

 

 

▽取材を終えて
 通天閣でガイド中だった下川さんと出会ったのは2017年秋。初任地の広島で県警を担当していたこともあり、この出会いに不思議な縁を感じたのが取材のきっかけだった。「今の道を選んで後悔はないか」。ストレートな質問をぶつけた。すると「一回きりの人生でチャレンジして良かった」と笑顔で即答。一貫して現状に愚痴を漏らすことなく、自らの選んだ道をひたむきに歩んでいく姿に意志の強さを感じた。この縁を大切に、1人のファンとして下川さんを応援し続けたい。

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