DVから逃げてシングルマザーでホームレスになったけど、3年後には〇〇を勉強して人生を大逆転させた話。/花城 ひなの

この体験を書いた理由

私は、2人の子供がいる、シングルマザーです。

3年前の今日はホームレス状態でした。

今はとても幸せですが、過去の話は思い出すのも辛いです。

しかし、私の体験してきたことを公開することで、誰かの励みや、何かに踏み出す勇気になるかもしれないと思って、書いてみることにしました。

辛かった元旦那からのDV

なぜ、そうなってしまったのかというと、元旦那のDVから逃げたからです。

親や身内は、子供の頃から色々あり、誰も頼ることが出来なかった為にそうなってしまいました。

私は、20代前半で長女、20代半ばで次女を出産しました。

初めて殴られたのは長女がまだ生後半年くらいの時です。

元旦那は少しでも気に入らないことがあると、赤ちゃんの世話で寝不足でフラフラな私を気にも留めず

夜中まで怒鳴り続けました。

身体を壁に打ち付けられ、ナイフでお腹を刺される寸前の修羅場もあったし、顔を殴られて目が開かなくなったことも。

(※実際の写真です)

何が原因でキレだすかわからないので、常に元旦那の顔色を伺い、機嫌を取りながら、笑顔を作っていました。

鬱病に。飛び降りて、精神病院に入院。

私は人生最大に病んでしまい、心療内科に通っていました。

夜中に叫んで自分の声で起きたり、微熱が何週間も続いたり、毎日のように頭痛に悩まされ、心身ともに限界でした。

しかし、気づいたら意識不明になって病院に運ばれていたこともあります。

病院からもらった安定剤や睡眠薬を大量に飲んでしまいました。

そして、ついに自宅ベランダから飛び降りてしまって、救急車で運ばれて精神病院に入院したこともあります。(しばらくは車椅子でしたが、奇跡的に骨折もせず、酷い打撲ですみました。)

とても辛い状況でしたが、『こんな選択をしてしまったのは自分だからしょうがない。』と子供の前や人前では何とか明るく振舞っていました。

DVの後泣きながら謝る元旦那を、変わってくれるかもしれないとわずかに期待して、たまにあるDV(殴られる)以外は機嫌を伺いながらも普通に生活し、次女も生まれました。

(不思議ですが、元旦那はとても子煩悩で子供達をとても可愛がっていました)

3年ほど頑張って、少しは穏やかに暮らせそうだと感じ始めた矢先、また、酷く怒鳴られました。

子供たちは別室で眠っていて、すぐにでも外に出ないと命の危険もあると感じ、気付いたら裸足で家を飛び出していました。

最後は、殴られなかったものの、ひきずりまわされ、足の指を骨折し、身体中アザだらけになりました。

(※その時の実際の写真です)

別れる決意

私は専業主婦で、お金の管理は徹底して元旦那だった為、貯金やへそくりもなくて、手元には約3万円しかありませんでした。

でも私は、元旦那にも身内も、誰にも頼らずに子供達を育てていく決意をしました。

『絶対になんとかしてみせる!』という決意しかありませんでした。

その時、下の子はお座りがやっとできるくらいの赤ちゃん。痣だらけで、骨折した足の指ではまともに歩くことも出来なかったことや、色々考えて児童相談所に相談しました。

そして、一時預かりをして頂けることになりました。

足は包帯で巻かれて靴も履けなかった為、100円ショップで買ったサンダルを履いて市役所に行きました。

シングルマザーでホームレスに

私は、何か手助けしてもらえないだろうかと考え、福祉課に行きました。

しかし、市役所での対応はとても冷たいものでした。


『住所がない人は生活保護は受けられないんだよ。今のあなたは住所もないからホームレスと一緒だよ!どうしようもないですね。』

と、言われてしまい、解決策の提案もしてもらえずでした。必死に、その時の状況を話しましたが、ダメでした。

気付いたらシングルマザーでホームレスになっていました。(笑)

シェルターや母子生活支援施設に行くことも考えましたが、それまでに何度か行ったことがありまして、私が行った所の内情は酷くて、精神的に更に不安定になってしまったので、絶対に行きたくありませんでした。

『これからどうしよう・・・』と、とても不安でした。

しかし私はそれでも、元旦那のところに戻ることはしませんでした。

むしろ、やっと辛かった生活から離れた喜びで、気持ちが元気になりました。

困っていたら、友達が連絡をくれて、泊めてくれることになりました。数日間、友人の家に泊めてもらい、お世話になりました。

それから、知り合いの紹介でホステスのバイトをしました。友人の家からバイト先が通えない距離だった為、ネットルームでの生活になりました。

足の痛みに耐えながらもハイヒールを履いて日銭を稼ぎ、ネットルームに泊まっていました。食事は、コンビニや牛丼屋や、はなまるうどん等、安い所で食べていました。

夜はバイト。昼は情報収集したり、子供の面会。私なりに必死に動いていました。

面会後に帰る私に、とても寂しそうに泣きじゃくる子供たちに申し訳なく、沢山泣きました。

『ごめんね…なんてことになってしまったんだろう・・・』と、落ち込んでいました。

でも、落ち込んだところで状況は変わりません。

『なんとかしてみせる!気分が落ち込んでるからこそ綺麗にメイクして笑っていよう!』

と、自分を奮い立たせ、バイトを頑張りました。

ここに書けないくらい、色々なことがありました。

それから、昔からの友達や新しく出会った方など、沢山の人に助けて頂き、ホームレス状態から約1ヵ月半後になんとかアパートを借りることができました。

お金が無い私が、アパートを借りることができたのは、友達のおかげです。

とても仲良くしていた中学生の頃の同級生が、お金を貸してくれると申し出てくれたのです。

『必ず、できるだけ早く返すからね!』と約束しました。

本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいで受け取りました。

家を借りれたけど寝袋での生活

そんな経緯があり、何とか部屋を借りることができました。しかし、部屋には何にも無かった為、初めは借してもらった寝袋で寝ました。

洗濯機もなく、コインランドリーはもったいないので、洗濯はなるべく手洗いでしのぎました。

冷蔵庫も洗濯機もガスコンロも、その他、生活に必要なものは何もありませんでした。

ひたすらバイトをし、リサイクルショップと100円ショップなどで何とか最低限の家具と生活に必要なものを揃えました。

子供達を引き取り、働くことに

それから、子供達を引き取りました。

子供達を2人共引き取れるまでには、家出してから数か月かかりました。

元旦那に気を使うことなく、子供達と穏やかに一緒に過ごせるんだと思うと、本当に嬉しかったです。

運のいいことに、たまたま知り合いから連絡があり、仕事を紹介して頂けることになって、面接に行きました。

すぐに働かせて頂けることになり、保育園も無事に決まったので、必死に働きました。

しっかり節約し、友達から借りたお金は数か月で全部返しました。

くたくたで終わる日々に悩む

働いて1年ほど経ち、だいぶ生活は落ち着いていましたが、下の子はまだ1歳、上の子が3歳だったので会社と家事育児でくたくたでした。

1日が一瞬で終わり、何か大事なことが抜けているような気がしていました。

休みの日も平日の疲れが抜けず余裕がなく、常に疲れていました。

このまま、毎日が疲れたまま終わる日々が続くのかな?小学校に上がったら、1人でお留守番させるしかないのかな?と、不安が沢山でてきました。

そして

『私一人だからこそ、できるだけ寂しい思いをさせたくない。もっと手をかけてあげたい。習い事もさせてあげたいし、寂しい思いや惨めな思いをさせたくない。もっと違う働き方がしたい。』

という思いが強くなっていきました。

在宅で稼ぐ方法を模索

何か方法はないだろうか?と考えていた時に、本屋さんでたまたま手に取った本でアフィリエイトやネットで稼ぐことが出来ることを知りました。

『よくわからないけど、頑張れば私も稼げるようになるかもしれない!』と、なんとか安いパソコンを購入しました。

自分で調べて、有名な方のメルマガを読み、ネットで検索し、ユーチューブや、本で必死に勉強しました。

会社に行って、帰って、子供たちにご飯を食べさせ、朝4時くらいまで勉強して、ブログやサイトを作りました。

もちろん、通勤時間は勉強&スマホでも出来る作業。

会社の昼休みは寝るか勉強か作業。

毎日必死で取り組んだのが良かったのか?

驚きなことに、独学ながらも一瞬で成果がでました。

初めて作ったブログは1日で1万アクセスを超え、2週間で10万アクセスを超えました。他にも、ブログやツイッター、サイトでのアフィリエイトもすぐに報酬が出ました。

生活するには厳しかったですが

『何かを得るには何かを捨てなければ更なる成果は出ない。』

と思い、あっさり会社を辞め、アルバイトしつつネットビジネスを模索しました。

ぶっとんだお母さんですね(笑)

外国為替に出会う

そして、在宅で、PCさえあれば一生稼ぎ続けることができる1番いい方法はないか?と探し『外国為替』に行きつきました。

私は、高卒で特に数学が大の苦手でした。

なので、『私には無理かもしれない…私なんかにできるはずがない。』というマイナスな気持ちもありましたが、どうしても在宅で十分に稼げるようになりたかった為、『とりあえずやってみよう!!これで稼げるようになりたい!!』と、決意。


FXは難しいイメージが強かったので、FXよりも簡単に感じたバイナリーオプションを勉強することにしました。

色々な方の教材を買い、更に本やネットで勉強。

ローソク足って何?というところから、3週間ほど1日10時間~16時間は勉強しました。

気付いたら座ったまま寝ているという状態になったら諦めて眠る、という感じで、自分をかなり追い詰めました。

罪悪感が少しありましたが、家事も子供たちのことも最低限に減らし、子供達には『ママ今、お仕事頑張っているから応援してね。』と伝えたら理解してくれました。

ずっとパソコンで作業していると、肩こりと眼精疲労が酷くなり、気持ちが悪くなって吐いたこともありますが、諦めませんでした。

そして、そろそろやってみよう!と思い、初エントリーすることに。

デモトレードで練習しても意味がないということを聞いたので、怖かったけどいきなり本番トレードに挑みました。

もちろん、ツールも使用しない裁量です。

初めてのエントリーでは緊張して心臓がバクバクしましたが、『びびってもしょうがない!やるしかない!』と勇気を出してエントリーしたのを覚えています。

なんと、驚きなことに、デモトレードの体験もせずに本番の初日の数時間で8万の利益を出すことが出来ました。

それからそのまま上手くいき、今はシングルで子育てしながらも、比較的自由に暮らしています。

人生はどんな酷い状況でも自分次第で変えられる!!

私は、『どんなに酷い状態でも、人生は自分次第で変えられる。』と思います。

実は元旦那のDV以外にも、子供の頃から家庭環境が複雑だったり、色々あり、波乱万丈でした。

高卒のコンプレックスもあるし、長いこと辛く苦しく、他人が羨ましかったです。

しかし、マイナスな気持ちにとらわれていても何も良くなりません。

子供達を産んで、1人で育てていく『決意』をし、『勇気を出して行動した』ことで私は変われました。

暗い顔してたら、人も運も逃げていくと思います。

落ち込むことがあったときこと、出来るだけ身なりを整え、笑顔を心がける。

女性ならメイクをし、苦労や苦しみが顔に現れないように意識する。

辛い出来事のトラウマを解決してくれるのは、自分しかいません。

必死で前向きに生きることができれば、うつ病も自然と治ると思う。

病院にいって、薬をもらって治る、単純な問題ではないのです。

自分を良くすることが出来るのは自分だけ!!

辛かろうが死にたかろうがその気持ちには蓋をし、良くなることだけに集中して必死に努力し続けることだと思います。

上手くいかないかもしれないとは一切考えずに、上手くいかせるにはどうしたいいか?ということだけを考えてひたすら努力する。

なんで自分ばかり?なんでこんなことに?と悲しい気持ちや、悔しい気持ち、怒りの気持ちが出てきたら、自分の意志で、そのマイナスの思いを努力というプラスのエネルギーに変えるのです。

そして、もうだめだ!と、諦めそうになっても諦めないこと。

常に前向きに!悲観的にならず、感謝の気持ちを忘れない。

そういった姿勢で生きていると、思わぬところで味方になってくれる人や助けて頂けたりもして、物事は必ず上手くいくのではないかと思います。

色々ありましたが、いつも笑顔で明るい子供達を含め、沢山の方に支えられて、助けられて今の私がいます。

だから、辛かったことよりも『ありがとう』という気持ちが大きいです。

私の話をすることで、『誰でも人生は変えられる』ということを伝えたい。

そして、もっと私自身に余裕が出来た時に、身近な人はもちろん、『人の為になること』をして、恩返しをしつつ生きて行きたいと思っています。

この話が誰かの励みや1歩踏み出す勇気になったら嬉しいです。

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著者:花城 ひなの (from STORYS.JP)

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