いろいろな分野でがんばっている小中学生を紹介(しょうかい)する新コーナー「キラリ発見!」。長崎ならではの歴史や文化をテーマにした「長崎学児童研究コンクール」で、最優秀(さいゆうしゅう)の長崎市長賞にかがやいた市立西北小4年の立石瑞季(たていしみずき)さん(10)に、調べて分かったことや感想を教えてもらいました。
コンクールは、子どもたちに自分たちがくらす長崎の魅力(みりょく)を知ってもらおうと「長崎学研究所」(土肥原弘久(どひはらひろひさ)所長)が昨年から開いています。今年は市内の15校から666点の応募(おうぼ)がありました。
立石さんの研究タイトルは「わたしの住む街 長崎市」。佐世保(させぼ)市立黒髪(くろかみ)小から2年生のときに転校してきた立石さんにとって、長崎には知らない町がまだまだたくさん。そこで、夏休みに家族で一つ一つ探検(たんけん)してみることにしました。
町名が分かるように、バス停や自治会掲示(けいじ)板、町名のプレート前などで写真をとりました。「西町、東町、南町はありましたが、北町はありませんでした」「大浦(おおうら)地区は西洋風の建物が多く、外国に来たような感じ」「戸町、上戸町、新戸町とあって、おもしろい」「細くて急な坂道が多かったです」-。足を運んでみて分かったことも、しっかりと記録。山王神社の被爆(ひばく)クスノキや野母崎樺島(のもざきかばしま)町のオオウナギの写真もとりました。
調査(ちょうさ)をふりかえり「海ぞいや中心部など、場所がちがうと、町の雰囲気(ふんいき)もちがいました。長崎くんちの踊町(おどりちょう)が、旧(きゅう)町名で出ていることも分かりました」。町名について「鍛冶屋(かじや)町には鍛冶屋さんがたくさんいたのかな」など、由来を考えるとますます興味(きょうみ)がわいたそうです。
お気に入りの町名は「勝山町」。理由は「『勝つ!』という感じでえんぎがいい気がする。元気な人がいっぱいいるのかな」と、想像(そうぞう)をふくらませていました。(嶋田嘉子)