和歌山の中堅メーカーの変革を託された男の挑戦、業績の向上だけではなく「社員が安心して働ける会社」を ノーリツプレシジョン株式会社 代表取締役社長 星野達也

「和歌山県にある企業の変革を一緒にやってもらえないか」 都内の企業でオープン・イノベーション活動の支援に携わっていた星野達也氏に、ファンドから一本の電話が届いた。

その企業の名前は、ノーリツプレシジョン。同社は、写真プリンターを中心に写真処理機器の開発や製造販売や、医療・介護分野の機器開発・製造を手掛けている。世界で初めてフィルム写真における現像工程の自動化に成功して以来、イメージング業界でトップクラスのシェアを獲得してきた。

現在6つの海外子会社、多くの海外販売代理店を持つ和歌山発のグローバル企業だが、歩んできた道のりは苦難の連続だった。デジタルカメラの登場で、2000年以降、フィルムの需要は急激に下がり、売り上げは全盛期の9分の1に低下。2016年3月、協力関係にあったファンドに譲渡され、変革が図られることになった。

そんなノーリツプレシジョンに、星野氏は取締役副社長として就任した。和歌山県に縁もゆかりもなかった一人の男に、会社の未来が託された瞬間だった――。

「和歌山への移住には何の迷いもなかった」

星野氏は、これまでコンサルティング畑を歩んできた人物だ。マッキンゼー・アンド・カンパニーで6年勤めた後、ナインシグマ・ジャパンの設立に参画。国内企業の研究開発部門を相手に、10年間にわたってオープン・イノベーションを普及させてきた。

今でこそオープン・イノベーションという言葉は盛んに使われているが、当時はインターネットで検索をしても出てくる情報が20件ほどだったという。その状況で、いち早く日本企業にオープン・イノベーションを普及させ、『オープン・イノベーションの教科書』(ダイヤモンド社)という書籍も執筆するなど、その先駆者として活躍してきた。

ノーリツプレシジョン社長の星野達也氏

そのような実績を持つ中で、なぜ地方企業の経営者というキャリアを選択したのか。

「オープン・イノベーションに10年間取り組んで、検索をすると何万件も情報が出てくるようになりましたし、実践する企業もゼロから何百社となりました。私の役目は終えたかなと思ったんです。書籍を書いて、やりきったという気持ちもありましたし、次は経営に軸足を置いてみたかったので引き受けることを決めました。

和歌山には一度も行ったことがなかったですし、イメージとしてあったのは温暖なことと梅干しがおいしいことくらい(笑)。企業の変革は大変なものだと覚悟はしていましたが、今後の自分の成長を考える上でよいチャンスだとも思いました」

何の迷いもなかったという星野氏は、家族を横浜に残し、2016年8月に単身赴任の形でノーリツプレシジョンの副社長に就任した。2017年5月からは社長となっている。

社員が安心して働ける会社を作る

星野氏に与えられたミッションは、社員が安心して幸せに働ける会社を作ること。そのために今、様々な改革を行っている最中だ。

一番注力しているのは、人材育成だという。入社後社員と面談し、皆モチベーションが高く、学ぶ意識が強いと感じた。和歌山県民独特の好奇心と素直さを感じたのだ。

例えば「ノーリツアカデミー」と呼ぶ社内講座の開催をはじめ、中核社員を集めた1泊2日の合宿、ビジネススクールへの派遣、ビジネス書を集めた本棚の設置などを行った。

合宿中に開催された飲み会の様子(提供:ノーリツプレシジョン)

「合宿では、会社に対する思いを伝えつつ、酒を飲みながら本音で語ったことで、社員がリーダーシップを発揮したり、モチベーション向上につながったりしていることが分かりました。彼らの熱いプレゼンテーションを聞いて、涙が出るくらい嬉しく感じましたね。そして、この会社はもっともっと良くなれると確信した瞬間でした。

ノーリツアカデミーでは、仕事の基礎や思考のプロセスを教えたことで、一人一人が当事者意識を持つようになりました。特に私は『課題』のことを『イシュー』と表現するのですが、皆が『イシュー」という言葉を使うようになったんです。今は飲み会でも乱用されてるようですが(笑)、何が課題なのかを自然と意識するようになったのは嬉しいです」

「同じ目線に立ち、一緒に取り組んでくれている実感」

そんな星野氏だが、全社員に向けた初日の自己紹介では、誰も表情を変えず静まり返った中で挨拶したことを覚えているという。まずはお手並み拝見、といった雰囲気を感じた。

星野氏は、当時の心境を「外から来た人間が冷めた目で見られるなんて当たり前。行く人間が覚悟と責任を持ってさえいれば、自然と認められていくはず」と振り返る。

人事総務などを担当する吉川祐亮氏は、変わっていく会社の様子についてこう語った。

「星野さんが来て一番変わったのは、従業員一人ひとりの目線に立って、一緒に仕事をしてくれている実感があることです。社長になっても『さん』付けで呼んでと言われていますし、社員と同じフロアで仕事もしてくれています。

個人的に嬉しく思っていることは、就任してから『和歌山って良いね』と褒め続けてくれたことです。今でも集会の最後には、必ず何かしらの和歌山ネタを入れてくれています。ご本人的にはウケを狙っているらしいのですが、なかなか笑いは起きません……(笑)。

主力事業が低迷したときや新規事業を拡大させる段階など、苦しい時期を星野さんと共に過ごしてきました。そのような中で、星野さんがエネルギーあふれる力で引っ張ってくれたこと、仕事の考え方を教えてくれたことで、多くの社員が前向きになりました」(吉川氏)

同社が販売するインクジェットプリンター「QSS Green III」

「思考すること」に時間を使えるようになった

星野氏が和歌山に移住してから約1年半。横浜の暮らしと比較して、一番変化したのは「時間の使い方」だという。横浜に住んでいたときは、東京に通うため往復3時間という時間を必要としていた。つまり、1日の12.5%は通勤時間だったことになる。また、東京だと電車が混む時間帯に帰宅するのを避けるため、わざわざ遅い時間に帰るようにもしていた。

和歌山では、通勤時間がほとんどかからず、好きな時間帯に通勤できるため、その3時間がまるまる浮いた形となる。趣味や読書、運動、睡眠に費やす時間を確保できるようになったのだ。そのため仕事の密度が濃くなり、良い仕事ができている実感があるそう。

「今までよりは、『思考』に時間を使えるようになりました。『意思決定』が重要な役目なので、常に万全な状態を維持し、思考にしっかり時間を使えることは非常に大切です」

文化的な生活を身近に求める人であれば、東京にいる方が便利かもしれない。和歌山県自体の知名度が低い、居酒屋が閉まる時間が早い、友人と会いづらいと思う人もいるだろう。

しかし和歌山でも、豊かな生活に必要な要素はすべて揃っている。今の時代、通販でなんでも購入できるし、情報の隔絶もない。生活環境は良いし、ご飯も空気もおいしい。いざとなれば大阪まで1時間で行ける。関西空港が近いため東京への日帰り出張も可能だ。

ノーリツプレシジョンの社屋

後継者も育成していきたい

星野氏が見据える未来は、単なる業績の向上ということではなく、あくまで「社員が安心して、幸せに働ける会社」を作ること。最後に、今後の抱負について聞いてみた。

「まだ社員の期待に十分応えられているわけではないので、引き続き改善したいと思っています。どんなに苦しくても逃げないと株主にも約束しました。一方でしかるべきタイミングで、和歌山にいる人間が経営すべきだと思うので、後継者も育成していきたいです」


オープン・イノベーションの先駆者としてのキャリアを経て、和歌山の中堅メーカー再生という道を選択し、活躍し続ける星野さん。その星野さんに会えるイベント「OFF TOKYO 和歌山キャリアフェア」が、3月10日(土)モンスーンカフェ恵比寿店にて開催されます。

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