ギーク集い、夢を追う 教え合う仲間が刺激に  U30のコンパス22部「支え合う暮らし」(3)

ギークハウスの前で談笑する坂東侑さん(中央)と藤田圭一郎さん(左)ら=岡山市

 「エクセルVBA」「ウェブスクレイピング」―。築約60年、木造2階建てのリビングにITの専門用語が飛び交う。ギークハウス岡山は、技術オタクを指す「ギーク」が集うシェアハウス。「ここに来るまでITの話ができる人がいなかった」。住人の坂東侑(ばんどう・すすむ)さん(19)はプログラマーとして海外で働くのが夢だ。

 中学2年でプログラミングの楽しさを知った。だが周りに同じ趣味の人がおらず、独りでいることが多かった。進学校だった高校で勉強に嫌気がさし、1年で通信制の学校へ転入。目標が見つからず、卒業後半年以上ニートだった。

 心配した母の勧めでその年の12月に入居した。同じ月にプログラミング歴約1年の重田智之(しげた・ともゆき)さん(30)も入ってきた。

 教えてくれる人が周りにいなかった重田さんは、坂東さんからさまざまな知識を教わった。「ITに詳しい坂ちゃんがいるのはラッキー。案外、熱血教師なんですよ」

 坂東さんには、教え合う仲間がいる環境が新鮮だった。さらに、ここはゲストハウスとして外国のプログラマーも利用する。交流するうち、海外への憧れが強まった。坂東さんは今、IT企業でアルバイトしている。

 ギークハウスは「京大卒のニート」などとして有名になった著述家pha(ふぁ)さん(38)が2008年に東京都町田市で開き、徐々に全国に広まっている。

 「ここに来る人は癖のある人が多い。そんな人たちが刺激し合う環境になれば」とギークハウス岡山管理人の藤田圭一郎(ふじた・けいいちろう)さん(31)。独学でプログラミングを学び、ウェブサービス会社設立を考えていた。だが専門家が周囲におらず、行き詰まりを感じていた。

 効率よくIT技術を高めるにはギークハウスが一番と思ったが、近くになく、自分でつくると決めた。祖母の所有する民家を改修して15年1月、岡山市北区にオープンさせた。

 最初は人が集まらず、ほとんど1人住まいだった。だが続けるうちに知る人も増え、今は10~30代の男性4人が暮らす。住人との交流が刺激となり、ギークハウスを開いてまもなく始めた会社の成果にもつながってきた。

 リビングには、住人それぞれが書いた目標が張ってある。「定時退社」「脱コミュ障」。後ろの言葉は、コミュニケーション下手を直したいという意味だ。

 住人は、首都圏のブラック企業に疲れてUターンしてきた人、ITの勉強のために来た人などさまざま。これまでに住んだのは約30人。ずっと住み続ける人はいない。

 坂東さんも、いつか出た後のことを考える。「海外でプログラマーになった時、この生活が生きると信じています」

 

 ▽取材を終えて

 勤務地の香川を含む四国には当初ギークハウスがなく、岡山で取材することになりました。取材中に徳島に四国初のギークハウスができ、徐々に広まっているようです。ギークハウス岡山は家賃と共益費合わせて1カ月約1万2千円で、旅人やニート、フリーライター、転職活動中などITが専門ではない若者らも訪れます。共同リビングでは、坂東さんや藤田さんらがパソコンを見ながら、ITを使ったお金もうけや新たにできそうなネットサービスの話をしていました。建物自体は古めかしいですが、将来のスティーブ・ジョブスやマーク・ザッカーバーグなどが生まれる可能性を秘めていると考えると、今後も目が離せません。(共同=三村泰揮29歳、年齢、肩書などは取材当時、22部完)

© 一般社団法人共同通信社