日本サッカー史上、「最高の選手」は誰なのか?編集部が考える

ワールドカップ出場が夢だった時代は、ワールドカップでの上位進出を目指す時代に。

欧州リーグへの挑戦が一部の選手にしか開かれていなかった時代から、欧州リーグでの直接対決が当たり前の時代に。

浮き沈みを繰り返しながらではあるが、日本サッカー界は間違いなく進歩してきた。

では日本サッカー史上、「最高の選手」は一体誰なのだろうか?

時代やポジションが違うため一概には比較できないが、それでもそれぞれの尺度でベストプレーヤーを選んでもらった。

編集部H

中田 英寿

【コメント】

「最高」という言葉の定義もいろいろだが私の中で“山頂との距離”をテーマに設定し、中田英寿を選択した。

カズ、ヒデ、俊輔、本田…Jリーグ発足以降、日本サッカー界の象徴であった選手たちにはセリエAに挑戦したという共通点がある。

先駆者の彼らは一様に苦難の道を歩んだが、唯一、当時世界最高峰の舞台で成功を収めた中田は、一握りの超一流選手だけが拝める“頂上からの景色”を、ほんの一瞬でも覗き見たのではないだろうか。

編集部K

三浦 知良

【コメント】

「最高の選手」という大まかな枠組みであれば、それはもちろん三浦知良しかいない。

日本サッカーの歴史上、実力で彼を上回った選手はたくさんいる。実績でもそうだろう。

しかし日本サッカーへの貢献度という点でいえば、カズを超える選手など一人もいないはずだ。

編集部O

奥寺 康彦

【コメント】

2014年にブンデスリーガ公式が発表した、歴代日本人選手トップ10。

ここで香川真司(2位)や岡崎慎司(3位)、長谷部誠(4位)らを押さえて1位に輝いたのが、「東洋のコンピューター」こと奥寺康彦だ。

スター揃いだった80年代のブンデスリーガにおいて、左サイドならFWからDFまでどこでもこなすスピードと技術、安定感を武器に活躍(時にボランチでもプレー)。

当時のブンデスは外国人枠が2つしかなく、その中でレギュラーを獲得していたというだけでも奥寺がいかに信頼される選手だったかが分かるだろう。

ケルンでリーグ優勝を経験したほか、1981年に加入したブレーメンでもリーグ2位が2回。

ノルト・ダービーのライバル、ハンブルガーSVでそのころ主力だった一人がフェリックス・マガトであり、奥寺のイメージが2000年代以降の日本人選手移籍に大きく寄与したことは間違いない。

そうしたパイオニアとしての功績を含め、「最高」の選手として選出した。

編集部I

釜本 邦茂

【コメント】

日本代表史上最も多くのゴールを決めた選手。

例え現在とは状況が異なっていたとしても、「代表戦76試合75ゴール」はとんでもない数字だ。

1968年のメキシコ五輪では7ゴールを叩き出し、得点王に輝くとともに日本代表に銅メダルをもたらした。

身のこなし、シュートへの持ち込み方、そしてフィニッシュ精度…。日本史上最高といわれる所以は、映像を見ればすぐ分かるはず。

編集部T

吉村 大志郎(ネルソン吉村)

【コメント】

「能力で言えば釜本邦茂、経歴で言えば中田英寿、功績で言えば三浦知良…」とジャンルごとに最高の選手たちを取り上げたいところだ。

そして、貢献という観点で言えば、吉村大志郎(ネルソン吉村)の名を挙げなくてはならないだろう。

日系二世としてブラジルに生まれ、1967年に「日本サッカーリーグ初の外国籍選手」として来日。

サッカー発展途上国の黎明期を牽引すると同時にその魅力的な個人技で観衆を湧かせ、「テクニックを重視するサッカー」という日本にはこれまでなかった価値観を与えた。

しかし彼の最大の貢献は、「帰化して日本代表としてプレーする」という道を開拓したことだ。

「日本帰化第一号」である彼の存在なしでは、与那城ジョージ、ラモス瑠偉、呂比須ワグナー、三都主アレサンドロ、田中マルクス闘莉王などへ繋がる帰化選手の系譜もなかっただろう。

編集部Q

中田 英寿

【コメント】

当時の欧州サッカーは外国人枠も厳しく、日本人にとってはファンタジーの世界であった。

あのカズですらも苦戦したセリエAで、ペルージャではユヴェントス相手に2得点をあげ最高のスタートをきると、チームの残留に貢献した。。

ローマではスクデットを経験。日本と世界との距離がグッと近づいた。

編集部S

釜本 邦茂

【コメント】

いくら時代が違うとは言え、日本代表としての通算75得点はあまりにも偉大である。

これはクリスティアーノ・ロナウド(79得点)やペレ(77得点)に近い数字であり、世界の歴代ランキングでも7位タイにつけるという大記録だ(RSSSFのデータを参照)。

中田英寿のカリスマ性や三浦知良の功績も賞賛に値するが、釜本が残した記録は時代性の考慮を度外視できるほど圧倒的なものである。

編集部の選出結果は…中田英寿と釜本邦茂が二票、三浦知良、奥寺康彦、吉村大志郎がそれぞれ一票というかなり拮抗した内容になった。

© 株式会社ファッションニュース通信社