「ユナイテッドvsチェルシー!両チームでプレーした11人の選手」

今週末に行われるプレミアリーグ第28節、マンチェスター・ユナイテッド対チェルシー戦。

オールド・トラッフォードでの大一番を前に、『talksport』などを参考に両チームでプレーした経験をもつ選手たちを振り返ってみよう。

ポール・パーカー(元イングランド代表DF)

1991~96:ユナイテッド、1997:チェルシー

1991年、27歳でQPRからユナイテッド入りしたパーカー。当時のリーグ最高の右SBとして、ユナイテッドでは“ダブル(リーグとカップ戦の2冠)”も経験した。

ただ、出場機会の少なさで優勝メダルを貰えなかったとも…。そして、ギャリー・ネヴィルの台頭でユナイテッドを後にすることに。

プロクラブとして最後に在籍したチェルシーでは4試合に出場。だが、クラブにとって26年ぶりのタイトルだったFAカップ優勝を決めた決勝には出場できず。

マーク・ボスニッチ(元オーストラリア代表GK)

1989~1991&1999~2003:ユナイテッド、2001~2003:チェルシー

大守護神ピーター・シュマイケルの後任として、ユナイテッドが連れ戻したGK。

1年目はリーグ優勝に貢献するも、その後はマッシモ・タイービやファビアン・バルテズらの加入で出番が激減。さらにフィットネスを欠き、アレックス・ファーガソンからは「ひどいプロ」と酷評される始末…。

チェルシーにフリー移籍するも、コカインの陽性反応が出たことで解雇と9か月の出場停止を味わった。

ラダメル・ファルカオ(コロンビア代表FW)

2014-15:ユナイテッド、2015-16:チェルシー

2014年夏のデッドラインデーにモナコから電撃的にローン移籍した際には大きな期待がかけられた。

だが、膝の怪我明けだったこともあり活躍できず。翌シーズンにはチェルシーにローンされるも、わずか1ゴールに終わる…。

完全に終わった選手かと思われたが、復帰したモナコで見事に復活している。

レイ・ウィルキンス(元イングランド代表MF)

1973~1979:チェルシー、1979~1984:ユナイテッド

チェルシーでは弱冠17歳でデビューすると、2年後にはキャプテンマークを手渡された。若きチームにおけるキープレイヤーとして、チームの1部復帰に貢献。

だが、1979年に降格したチェルシーは負債に苦しんでおり、彼の売却を余儀なくされた。80万ポンドで移籍したマンチェスター・ユナイテッドではFAカップ優勝を経験。

その後はミランやPSGでもプレーした。引退後はチェルシーでコーチを務め、剃髪の参謀としてお馴染みの存在に。

ジョージ・グラハム(元スコットランド代表MF)

1964~1966:チェルシー、1972~1974:ユナイテッド

現役時代にチェルシー、アーセナル、マンチェスター・ユナイテッドでプレーしたグラハム。

1960年のチェルシーで名を上げると、アストン・ヴィラに5千ポンドで移籍。72試合で35ゴールを叩き出し、リーグカップ制覇に貢献した。

だが、監督とそりが合わず、すぐにアーセナルへ移籍。そこでは308試合に出場し、1971年にはダブルも経験している。

その後、ユナイテッドへ加入するが当時のチーム事情はかんばしくなく、ディビジョン2への降格という憂き目にあっている。

フアン・セバスティアン・ベロン(元アルゼンチン代表MF)

2001-03:ユナイテッド、2003~2007:チェルシー

2001年夏、2800万ポンドという大金でラツィオからユナイテッドへ移籍したベロン。

期待は大きく、時折持ち前のスキルを見せつけたものの、セリエA時代ほどの輝きは見せられず。

2年後、ユナイテッドは損切して、彼を1500万ポンドでチェルシーに売った。

後年、本人はユナイテッドに残るべきだったと述べている。

フアン・マタ(スペイン代表MF)

2001~2014:チェルシー、2014年1月~:ユナイテッド

背番号10を託されたチェルシーでは、タイトル獲得に貢献。クラブのベストプレイヤーに選ばれるなど、ファンのお気に入りでもあった。

だが、ジョゼ・モウリーニョのもとで出場機会を減らすと、2014年1月にユナイテッドへ電撃移籍。

デイヴィッド・モイーズ監督が率いていた当時のユナイテッドが費やした資金は当時のクラブレコードとなる3710万ポンドだった。

その後、ユナイテッドで再びモウリーニョのもとでプレーすることに。

マーク・ヒューズ(元ウェールズ代表FW)

1980~86&1988~1995:ユナイテッド、1995~1998:チェルシー

元ストークの指揮官は、ユナイテッドとウェールズが誇るレジェンドFWだ。

『PFA Players' Player of the Year』に輝いた後、一旦退団しバルセロナとバイエルン・ミュンヘンでプレー。

1988年に当時のクラブレコードでユナイテッドが買戻し、再びオールド・トラッフォードに戻ってきた。

復帰後にも『PFA Players' Player of the Year』を受賞したほか、プレミアリーグ、リーグカップ、FAカップ優勝にも貢献。

チェルシー移籍後もタイトル獲得に貢献し、1997年にはクラブの年間最優秀選手にも選ばれた。

マル・ドナギー(元北アイルランド代表DF)

1988~1992:マンチェスター・ユナイテッド、1992~1994:チェルシー

ユナイテッドとチェルシーでいいキャリアを過ごしたドナギー。

オールド・トラッフォードでの4年間(ローンも経験したが)では、カップウィナーズカップ優勝を経験した。

そして、10万ポンドでスタンフォード・ブリッジへと移籍。ブルーズではプレミアリーグとFAカップ優勝を経験したが、主軸というわけではなかった。

ロメル・ルカク(ベルギー代表FW)

2011~2014:チェルシー、2017~:ユナイテッド

チェルシーが18歳で獲得した若き怪物FW。だが、ジョゼ・モウリーニョ監督が率いていた2014年に売却されるはめに。

エヴァートンでの活躍により再びビッグクラブから注目を浴びると、奇しくも古巣チェルシーとモウリーニョのユナイテッドが獲得を争うことに。ルカクが選んだのは、後者だった。

ネマニャ・マティッチ(セルビア代表MF)

2009~2011&2014~2017:チェルシー、2017~:ユナイテッド

チェルシーが“2度獲得”したマティッチ。

ダヴィド・ルイスとのトレードでベンフィカに譲り渡したが、大金で買い戻すことになった。

だが、その価値は十分あり、チェルシーで中盤で絶大な存在感を発揮。タイトル奪取に大きく貢献した。

アントニオ・コンテ監督のもとでやや序列が下がった彼を恩師ジョゼ・モウリーニョは見逃さず、ユナイテッドに引き入れた。

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