「五輪」の発案者

 昔の通貨単位で言う「1厘」は1円の1000分の1。だから「ゴリンだなんて何だか安っぽい」との声もあったらしい。「オリムピック」の6文字を初めて「五輪」と表記したのは明治生まれの新聞人、読売新聞の川本信正さんだった▲1940年、東京で開催されるはずだった幻の夏季大会。「五輪」が最初に登場したのはその4年前の7月だった。宮本武蔵の「五輪書」がヒントになったという▲誰もがあのマークを連想できて、言葉の響きも似ている。こりゃいいね、と他紙もちゃっかり採用、新語として定着した。記事のスペースはいつも有限、見出しの文字数は少ないほどありがたい。必要は発明の母、だ▲川本氏は戦後、評論家に転じ、JOCの委員も務めた。旧ソ連のアフガニスタン侵攻が発端になったモスクワ五輪のボイコット問題では「スポーツの祭典は政治から独立してあるべき」と強く反対を主張した▲日本の不参加が決まるとすぐに委員を辞めた。亡くなったのは96年の6月。アトランタ大会が開幕する1カ月前だった▲冬季大会では過去最多のメダル獲得に日本中が沸いた平昌は、国際政治の思惑が色濃く反映された大会としても記憶される。空から見ていた川本氏の目にはどう映っただろう。どんな言葉で、どんな記事を綴(つづ)るだろう。(智)

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