「悩んだからこそ、支援したい」難聴乗り越え医師の道へ 長崎大医学部4年・目代さん

 成長してから聴覚を失ってなお、医師を目指している男性がいる。長崎大医学部4年生の目代(もくだい)佑太朗さん(31)=長崎市旭町=は中途失聴者だ。人工内耳の手術を受けて「人生が変わった」「難聴で悩んだからこそ同じように障害のある人を医療でサポートしたい」と実習に励んでいる。3日は「耳の日」。

 目代さんはさいたま市生まれ。健康に育ったが、高校2年のとき突然異変を感じた。「あれ、鼻が詰まったかな」。風邪をこじらせたような感じで急に右耳が聞こえなくなった。右側から話し掛けられても気付かない。診断は突発性難聴だった。右耳はほとんど聞こえなかったが、医療職に就きたいと勉学に集中。2006年、長崎大歯学部に入学した。

 ところが5年生になった10年春ごろから、左耳も徐々に聞こえづらくなった。意を決して両耳に補聴器を着けたが「キーン」と耳鳴りがして会話が困難に。11年冬、左耳の蝸牛(かぎゅう)に電極を接触させて聴覚を補助する「人工内耳」の埋め込み手術を決断した。

 今後のことを考えると強い不安はあった。しかし人工内耳の聞こえ方に慣れると友人の声がスムーズに耳に届く。「これも医療のおかげ」。元の通りではないが心が喜びに震えた。そして「やっぱり医師になりたい」と夢が芽生えてきた。

 歯学部を卒業後、2年間猛勉強して同大医学部へ進学。4年生になり、大学病院での実習が今年1月から始まった。精神科、心臓血管外科などほとんどの科を1年で回る。「いろんな科で相性を見極めたい」と充実した日々を送っている。

 実のところは、現実の厳しさも知った。「患者の話を聞くことが重要な診療医は難しいのでは」と言われたり、手術室で意思疎通に時間がかかったり。「聞こえづらい」のは外から見えにくい。落ち込む日もあるが「医師として働くことで、少しだけ社会が変わるかもしれない」と自分を奮い立たせている。

 難聴になって、疎外感を感じる経験もした。話の中で誰か笑っても訳が分からず、聞き直しても聞き取れない。すると周りは「大したことないから」と教えてくれなくなる-。目代さんは「障害で幸せになれないと考えるのは悲しい。聞こえづらくても、患者さんといいコミュニケーションが取れる医師になりたい」と希望に燃える。

医師を目指し、実習に励む目代さん=長崎市坂本1丁目、長崎大学病院

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